トヨタはセリカの「名ばかりのGTは道を開ける」で日産を挑発! 激怒した日産はどんなCMコピーで反撃したのか?
CMのキャッチコピーで、ライバル車を攻撃する。海外では珍しくはないが日本だとあまりないのだが稀にある。今回は、トヨタが日産に対してあからさまに挑発したCMキャッチコピー、「名ばかりのGTは道を開ける」をご存じだろうか?その後、日産はどのように応酬したのか、紹介していきたい。 【画像ギャラリー】スカイラインを挑発したセリカと応酬したスカイラインの写真をチェック!(4枚) 文:ベストカーWeb編集部/写真:トヨタ、日産、ベストカーWeb編集部
■トヨタの挑発に対して激怒したスカイラインの父、櫻井眞一郎氏
1970年代、名声を不動のものとしたスカイライン。その主役は、L20系の2L、直6SOHCエンジンを積む2000GTシリーズだった。後にターボか、ツインカム論争が起きる前夜のことである。 スカイラインGTに対し、トヨタにはスペシャリティカーのセリカがあった。この2車は、奇しくも1977年8月、同時期にフルモデルチェンジし、スカイラインは通称ジャパン(5代目のC210系)、セリカは2代目のA40系にチェンジしている。 大ヒットしたケンメリ時代から、ジャパンになってからもスカイライン人気は凄まじいものがあった。トヨタはこの状況を唇を噛んで悔しがっていたことだろう。 そんな状況のなか、1979年9月、セリカがマイナーチェンジされ、18R-GEU型2L、直4DOHCエンジンを積む2000GTラリーを投入。その時、使われたキャッチコピーが「名ばかりのGTは道を開ける。ツインカムを語らずに真のGTは語れない」というものだった。 当時のベストカーガイド誌の広告を見てほしい。あからさまにDOHCでもターボでもないスカイラインを揶揄したのである。 このコピーについて、1980年代にスカイラインの開発責任者だった櫻井眞一郎さんに、このコピーを見た時どう思ったか聞いたことがあるが、「最初見た時は頭に血が上って怒り心頭でしたが、後々、あのセリカは売れなかったのでたいして影響は受けませんでした」と語ったのを鮮明に覚えている。 半年ほどたった1980年4月、スカイラインに20E型直6エンジンにT03ターボチャージャーを装着したスカイラインを投入し、セリカのDOHCエンジンを凌ぐ145ps/21.0 kgmを発生。左側のボディサイドには逆さ文字でTURBOのロゴを貼り付けたのは日産ファンからしたらどれほど嬉しかったことか。 その時のキャッチコピーは、「今、スカイラインを追うものは誰か」と、トヨタに応酬したのである。