中国に生じている新たな大問題、「卒業はすなわち失業」…就職先がない若者たちの「意外すぎる行動」
中国は、「ふしぎな国」である。 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。 【写真】中国で「おっかない時代」の幕が上がった!? そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語・流行語・隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。
仏系(フォーシー)
「六〇後(リウリンホウ)」(1960年代生まれ)のエリート中国人たちは、俗に「六四(リウスー)世代(シーダイ)」と呼ばれる。 「六四」というのは、1989年6月4日、すなわち北京で天安門事件の悲劇が起こった日だ。その時代に青春を送ったことと、民主化運動に挫折したことを込めて、そのような言い方が定着した。 私は、日本の「六四世代」である。だが、もちろんそうは呼ばれていなくて、「バブル世代」である。 「バブル世代」という言葉にも、いまや哀愁が漂っている。「青春時代に贅沢ばかりして使えないオヤジ(オバサン)」という意味が、言外に込められているからだ。 まったくもってその通りなのだから、反論できない。特に、社内でパソコンに関する新システムが導入された時など、対応能力のなさが曝け出される。 周囲の若者たちに助けてもらうこともできるのだが、それは彼らにランチ時のネタを提供するようなものだ。「あのバブル世代のオヤジったら、こんなこともできないんだぜ」「本当にお荷物社員だな……」 私のことなどどうでもよい。要は1989年の時点で、海を挟んだ日本と中国には、別世界が広がっていたということだ。 中国の同世代の彼らは、一向にインフレを退治できない共産党政権に業を煮やした。そして、政治を民主化して自分たちで望ましい社会を築いていこうと、拳を振り上げたのだ。 具体的には、政治の民主化を目指して解任され、非業の死を遂げた胡耀邦前総書記の追悼と称して、100万人が集まれる天安門広場に集結した。そしてそのまま、広場を2ヵ月近くにわたって占拠し、抗議の声を上げたのだった。 だが、共産党政権の側も、中華民族同士が血で血を洗う「国共内戦」(1946~’49 年)を勝ち抜いた歴戦の長老たちが、当時はまだ健在だった。そのため、「たとえ100万人死んでも、総人口のわずか0.1%に過ぎない」と開き直った。最後は、鄧小平中央軍事委員会主席の命令一下、6月4日の未明に、人民解放軍の戦車部隊を天安門広場に突入させたのだった。 その結果、北京で1000人以上の若者が斃れた。あの時の悲劇は、当時の中国の若者たちの運命を変えたばかりか、社会人になっての初仕事が天安門事件の報道だった東京の青年記者の運命をも変えた。すなわち私のことだ。会社で徹夜してCNNの生中継を観ながら涙が止まらず、生涯を懸けて中国を報じていこうと心に誓った。 本当に、当時の北京の若者たちは、鬼のように共産党政権に対して怒っていた。私が勝手に命名するなら「鬼系」だ。 節分の日には鬼に向かって豆を投げるが、鄧小平軍事委主席は「鬼系」の若者たちに、人民元を振り撒いた。 「その拳で、今後はカネを掴みなさい。政治の民主化は許さないが、代わりに金持ちになる自由を与えよう」 この方針を中国では、「社会主義市場経済」と呼ぶ。1992年10月に開いた第14回中国共産党大会で、「社会主義市場経済」を党是に定めた。翌年3月には憲法を改正し、第15条にこう明記した。 〈国家は社会主義市場経済を実行する〉 こうして、古代から「食べる」と「稼ぐ」という二つのDNAを植えつけられている中華民族は、一斉に「カネ教徒」と化していったのである。 北京ではアメリカ留学帰りの李彦宏氏がバイドゥ(百度)を興し、天安門事件の影響がなかった深圳では馬化騰氏がテンセント(騰訊)を興した。杭州では英語教師だった馬雲氏が、「天下に不可能なビジネスをなくす」(譲天下没有難做的生意)という社是を掲げて、アリババ(阿里巴巴)を始めた。 1990年代には他にも、星の数ほどの民営企業が、「明日の中国は今日よりさらに素晴らしくなる」(明天的中国比今天更美好)という「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」を求めて羽ばたいていった―。 実は鄧小平氏は、「鬼系」の若者たちと、他にも「約束」を交わしていた。まず彼らが結婚した際に、子供は「一人っ子」であることを強要した。こちらも、おそらく世界唯一だろうが、憲法第25条でこう定めてしまった。 〈国家は一人っ子政策(計画生育)を推し進める〉 その代わり、彼らの唯一無二の「宝貝(バオベイ)」(愛児)たちを、望むなら全員、大学へ入学させてあげようと約束したのだ。もちろん、国の経済発展に大学教育が欠かせないと判断したこともある。ともあれここから中国全土に、雨後の筍のように大学が新設されていった。 天安門事件の起こった1989年、中国の大学の定員総数は約40万人で、大学進学率はわずか9.31%。進学希望者に対する大学の定員の割合を示す「録取率」は15%に過ぎなかった。当時の中国人にとって大学は狭き門であり、一部のエリートだけに許された道だったのだ。 それから一世代、30年余りを経た2021年は、大きく様変わりした。大学進学率は54.7%まで上がり、ほぼ二人に一人の水準まで来た。 録取率も92.89%まで上がった。すなわち、大学進学希望者の9割以上が入学できたということだ。実際、全国3012大学に、1001万人もの若者たちが入学している。 こうして、共産党政権と国民との「約束」は果たされた。だが、共産党政権が国民に「約束」したのは、大学入学までだった―。 いまや、新たな大問題が生じている。それは大学卒業後の「就業」である。 中国の学制は欧米と同じ9月入学で、2022年6月から7月にかけて、1076万人もの若者が大学を卒業した。また、高校を卒業して大学に進学せずに社会へ出た若者も、前年と同数と計算すると355万人に上った。 合わせて1431万人! これは東京都の全人口よりも多い。 折りしも中国は、「コロナ不況」の真っただ中で、そこにウクライナ危機の影響なども加わった。その結果、7月の若年層(16歳~24歳)の失業率は19.9%と、過去最高を記録したのだった。 日本では今世紀初め、大学卒業生の就職が困難になり、「超氷河期」という言葉が生まれた。それになぞらえれば、現在の中国は「超超超超氷河期」である。「卒業はすなわち失業」(畢業就是失業(ビーイエジウシーシーイエ))という言葉が流行語になった。小津安二郎監督の映画『大学は出たけれど』のような世界が展開されているのだ。 そうなれば、かつて共産党政権に立ち向かって拳を振り上げた「鬼系」を親に持つ「九五後(ジウウーホウ)」(1995年~1999年生まれ)や「〇〇後(リンリンホウ)」(2000年~2009年生まれ)の若者たちは、連日、街頭デモ行進でも起こしそうなものだ。 ところが、そんな光景は中国のどこにも見当たらない。それは、当局の取り締まりが厳しいということもあるが、「一人っ子」の側の問題でもある。「だって動くとエネルギーを使うでしょう」と言わんばかりに、就職先が見つからない彼らは、おとなしく自宅でスマホをいじっているのだ。 そんな彼らについた名称が、「仏系」。修行僧には仏典があれば十分なように、「仏系」にはスマホがあれば十分というわけだ。 「仏系」の青年たちは、まさに仏のように心優しい。『ふしぎな中国』の「躺平(タンピン)」の項で詳述するが、彼らの家で飼われている犬や猫と、完全に同化している。 「鬼系」の中国人の自宅を訪問すると、社会環境の変化によって、親子の気質がかくも変わるものかと思う。 そう言えば、日本でも同世代を「さとり世代」と呼ぶ。「仏系」は将来、どんな悟りを得るだろう?
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)