なぜ公立進学校の相模原が名門・横浜を倒す“大番狂わせ”を起こせたのか?
涙が止まらない。4年連続の夏の甲子園出場を絶たれた王者・横浜だけでなく、胸を張りながら校歌を誇らしげに、あらん限りの力を振り絞って斉唱する県立相模原の選手たちも号泣している。2019年7月25日。全国屈指の激戦区・神奈川の高校野球史で、最大と言っていい番狂わせが起こった。 横浜スタジアムで行われた神奈川県大会準々決勝の最後の一戦は、プレーボールからわずか5球で、第1シードの横浜が2点を先制する。3番のキャプテン、内海貴斗内野手(3年)の豪快な2ランが右中間のスタンドに飛び込んだときには、一方的な展開になるかと思われた。 しかし、ノーシードおよび公立勢として唯一勝ち上がってきた県立相模原もしぶとく食い下がる。先制された直後にスクランブル登板したエース、天池空(3年)が3回表に1点、5回表に2点と追加点を許しながらも、バックの好守もあってビッグイニングを作らせない。 3回表は飯尾陸斗外野手(3年)がライトから、5回表には温品直翔内野手(2年)がセカンドから、ともにホームへ好返球してランナーを刺した。横浜戦前日に急きょ行った練習が実を結んだ。 「マネージャー、横山球場、空いているかな?」 陸上部などと共用しているグラウンドでのバッティング練習を終えた直後に、佐相真澄監督(60)の声が飛んだ。自転車で数分の距離にある相模原市横山公園野球場で、シートノックを行いたい――指揮官の突然の要望に女性マネージャーがすぐに応えて球場を確保。1時間に満たない時間だったが、守備のミスが許されない大一番へ向けて、入念に確認を行うことができた。
思うように点差をつけられない横浜は、県立相模原の打線に幾度となく肝を冷やされた。6回裏までゼロ行進が続くも放った安打は6本を数え、野手の正面を突いた鋭い打球も少なくなかった。5点のビハインドを背負った7回裏。流れは一気に相模原へと傾いた。 一死から四球とヒットでチャンスを作り、先発の右腕・木下幹也(2年)を引きずり下ろす。代わった左腕・松本隆之介(2年)も四球でピンチを広げ、4番の中野夏生内野手(3年)、5番の風間龍斗捕手(3年)がいずれも会心のタイムリーを一閃。瞬く間に2点差にまで詰め寄る。 たまらずプロも注目する左腕、及川雅貴(3年)が投入されても流れは変わらない。四球をはさんだ満塁から、7番・高橋陸外野手(3年)が体勢を崩しながらもライト前へ運ぶ。これを横浜の選手が後逸し、大量5得点で一気に同点に追いついた。 8回表に1点を勝ち越されるも、県立相模原の闘志は萎えない。ヒットと犠打、死球で作ったチャンスで中野がライト線へ逆転三塁打を放ち、風間の犠牲フライで突き放した。カーブとスライダーを多投する及川が、4球目を前に捕手のサインに首を振った仕草を左打席の中野は見逃さなかった。 「ピッチャーはスライダーばかり投げていたので、次も来るんじゃないかと思いました」 体を残し、右肩を開かない体勢から及川の決め球を確実にミート。ベンチに入れない3年生を中心に結成された分析班が弾き出した詳細かつ部外秘の配球データに、おそらく首を振った後の及川は変化球を投げると記されていたのだろう。チームが一丸となって生まれた逆転打だった。 県立相模原が放ったヒットは横浜と並ぶ12本。スタンドインする豪快な放物線はなくても、いずれもバットの芯でとらえた低く鋭い打球が大逆転での創部初のベスト4進出を呼び込んだ。日々の地道な練習で積み重ねられてきた努力が、大一番で鮮やかに花開いた。 グラウンドでフリー打撃を行えない状況で、佐相監督はバッティングケージを4つ並べたうえで、バックネットへ向けて打ち込む練習を徹底してきた。選手たちはまず竹バットを手にしてケージに入り、マシンやバッティングピッチャーが投げ込んでくるボールを黙々と打ち込む。 「竹バットの場合は、芯に当たらなければ手が痺れてすごく痛い。なので、ボールの芯をバットの芯でとらえる感覚を体で覚えられる。その後に試合で使う金属バットに変えて打つんですけど、痛いから最初は木製バットで打ってもいいよと言っても、全員が竹バットをまず使うんですよね」 佐相監督が目を細めながら、全員がミートの感覚に長けた秘密の一端を明かしてくれたことがある。加えて、今年5月下旬からは鍛練期を設けた。放課後に行われる通常の練習に加えて、300mダッシュを1日につき20本、約2週間にわたって部員たち全員に課した。