加計「首相案件」よりも防衛省日報が問題……絶対平和主義の現実と文民統制
財務省による森友学園の文書改ざん、なかったはずの防衛省の日報や加計学園に関する「首相案件」と記した愛媛県の文書が見つかるなど数々の文書問題により、安倍政権に厳しい目が向けられています。 建築家で文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんは中でも、防衛省の日報問題は、一政権の話にとどまらない日本の構造的問題と指摘します。この混乱の事態で今、何を考えるべきなのでしょうか。 森友文書問題の根幹は何か…ズサンなデータ管理、情報肥大と日本の中枢劣化
「首相案件」の備忘録より「戦闘地域」の日報
南スーダンPKOに続いてイラク派遣における自衛隊の「日報」のあるなしが問題となった。 今は、森友問題に続いて加計問題も新展開があり、「首相案件」のメモ(備忘録)のあるなしが問題となっている。さかのぼって、財務省の公文書改ざん、厚生労働省のデータのズサンさ、文部科学省のメモのあるなしなど、官僚組織の文書・データの扱いは、前回書いたように日本社会の「中枢劣化」を感じさせる。 これらを安倍政権の問題とする批判は多いが、自衛隊の「日報」は、一政権の問題を超えて、平和日本の構造的な問題を浮かび上がらせているのではないか。 防衛省における文書(日報)の扱いは、自衛隊(軍)の「文民統制=シビリアン・コントロール」に関わり安全保障の根幹に触れる。当然ながら、国会、行政、報道における各氏の意見は、今後、組織として文書管理を徹底させるべきであるという結論となる。 確かにそうなのだろう。 しかしここでは少し異なる視点、すなわち現代日本における現場の力学とその管理システムの関係から、この「文民統制の現実」を文化論的に考えてみたい。
戦闘地域
発端は、あるジャーナリストによる日報の情報公開請求であった。 現場から上がってくる「日報」は、その地域における戦闘的な状況を伝えていたので、防衛省はこれを公開できなかった。憲法の制約もあって従来「自衛隊の派遣地域は戦闘状態にない」としてきたからである。しかし現場は、そのような国内政治にお構いなく、実情を正確に伝える日報を上げてくる。これは正しいことである。 つまり問題の本質は、憲法の制約下における政治的タテマエと、自衛隊派遣現場の厳しい実態との乖離にあるのだ。 しかし野党とマスコミの追求は、防衛省の対応の拙劣さに集中し、戦闘地域か否かという問題はどこかへ行ってしまった感がある。