加計「首相案件」よりも防衛省日報が問題……絶対平和主義の現実と文民統制
日本文化の免疫力
国際紛争への対応も、結局は文化の問題に帰する。 本居宣長が分析したように、日本文化すなわち「やまとごころ」の真髄は学問教育による道徳ではなく「素直な心」である。変化のある四季と美しい自然に囲まれた、家族的な情緒一体性の文化である。 これは大切にしたい。しかし国際政治の厳しい現実の中で、これがともすれば軍部の暴走となり、ともすれば他国への従属となり、極端に走る傾向があることは経験済みである。島国であるだけに、大陸のような思想、宗教、民族の軋轢を経験することが少なく、国境が動くこともほとんど(一時期を除いて)なかった。つまり日本文化は百戦錬磨の老兵ではなく初々しい新兵のようなもので、利点もあるが欠点もあるのだ。 筆者は、いかにしたらその純朴を保ちながら老練さを培うことができるか、すなわち日本文化の免疫力を高めることができるか、を考えている。 「文民統制」とは、単に書類を管理することではなく、その文化的免疫力を高めることであろう。 たしかに、自衛隊の文書・データの管理を徹底させることも必要であり、現政権の責任を追求することも必要かもしれない。 しかしそれよりも、この日報問題を、文民統制というものの現実的なあり方(米軍との関係も含めて)を、再検討するチャンスとするべきではないか。 「首相案件」によって、そういった対応ができないとすれば、それこそが情けない話である。