新紙幣発行間近!: 1000円札になる葛飾北斎「神奈川沖浪裏」が世界を魅了する理由は…
逆輸入された北斎人気
浮世絵版画はそば一杯程度と安価な娯楽メディアだったので、そもそも絵師には現代の「芸術」と同じような概念はなかった。薄利多売だから庶民の流行を追ってさまざまなテーマを取り上げ、今でいう“推し活アイテム”の役者絵や美人画、ポスター感覚の風景画、さらにはポルノグラフィーの春画など、多彩なジャンルが生まれた。 しかし、開国と共に西欧文化が流れ込んでくると、江戸期の文化・風俗を前近代的と見下す風潮が高まった。ジャポニスムが過熱した西洋とは逆に、浮世絵ブームは急速に冷め、人気絵師の作品も国外に流出した。北斎の版画にしても幕末には輸出品の緩衝財にされていたほどで、芸術品として見直されたのは、戦後に海外での高い評価が知られてからだ。 北斎は没後150年の1999年、米「ライフ」誌の特集「この1000年間で最も重要な功績を残した100人」に唯一の日本人として名を連ねた。国際的な人気はさらに高まり、北斎展はフランスのグラン・パレ(2014)、大英博物館(17)、米ボストン美術館(23)で開かれ、各国の日本美術展でもその作品に列ができた。 日本でも回顧展が途切れず、良品の里帰り展示も多い。祖国での再評価は、真価を見抜いて収集・保存してくれた外国人愛好家のおかげといえる。
「浪裏」のルーツは海外に?
なぜ「浪裏」は外国人に愛されてきたのか。理由の一つに「北斎自身が海外の影響を受けていた」ことを挙げるのは、「すみだ北斎美術館」(東京都墨田区)主任学芸員の奥田敦子さん。本作をテーマにした展覧会「北斎 グレートウェーブ・インパクト ―神奈川沖浪裏の誕生と軌跡―」の担当者である。
まず、鮮やかな海の青は、18世紀ドイツ発祥のプルシアンブルーのたまもの。日本ではベロ藍(ベルリン藍)と呼ばれるこの絵の具を用いて、誰も見たことがない「北斎ブルー」を編み出したのだ。
構図においては、西洋の画法を取り入れた洋風画から透視図法(遠近法)を学んでいる。「浪裏」では手前の大波から奥の富士山へと、鑑賞者の視線を自然に誘導する仕掛けを施した。「本作の約30年前に描いた『賀奈川沖本杢之図(ほんもくのず)』では、すでに立体感や遠近感が芽吹いている」と奥田さんは指摘する。