「お前が殴ったと他の者が言っている」米兵の十字架を建てた兵曹長は偽りを書いた~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#40
1945年4月15日、石垣島で米軍機の搭乗員3人が処刑された石垣島事件。3番目に殺害されたロイド兵曹を誰が銃剣で刺したかを目の前で見ていた炭床静男兵曹長。国立公文書館のファイルから、二通の陳述書のほかに、証言台に立つ際に弁護側から提出された口述書の下書きが見つかった。「共同謀議」に誘導するよう仕向けられた兵曹長が述べていたのはー。 【写真で見る】証言前につくられた炭床静男の弁護資料
命令か、自発的か
「NO.72」と書かれた炭床静男の2通目の陳述書。検事の調べによるものだとみられる。最初は、ロイド兵曹を誰が銃剣で刺したかを聞かれている。命令によるものか、自発的にやったのか、目撃した人物それぞれについて聞かれ、炭床兵曹長は、次にように答えた。まず、銃剣で刺した士官について。処刑現場の指揮をとっていた榎本中尉は、「自発的に」刺した。炭床兵曹長が持っていた杖でロイド兵曹を叩いた北田兵曹長は、「自発的か命令によるか知らぬ」。炭床兵曹長自身が刺したのは「榎本中尉の命令による」。 次に銃剣で刺した下士官について聞かれているが、ここで炭床兵曹長は最初と二番目に刺した藤中一等兵曹と成迫上等兵曹については、「自発的か命令によるか知らぬ」と答えている。この他、二人の下士官については、田口少尉、榎本中尉の命令によるとしていた。さらに銃剣で刺した兵について聞かれているが、一人は「田口少尉の命令による」と答え、あと4人の兵は、「自発的か命令によるか知らぬ」となっている。 〈写真:炭床静男の陳述書(国立公文書館所蔵)〉
田口少尉が「仇討ち」を命令?
田口少尉は、二人目の飛行士を斬首しているが、炭床兵曹長は、その田口少尉が自分の隊員に仇討ちを命じていたと書いている。 「私は田口少尉が次の様に一小隊の兵に命令しているのを聞いた。『空襲でやられた三名の仇討ちをやるんだ。猛烈に突け』。この他の小隊については兵が銃剣刺殺を自発的にしたか命令によってしたか私は知らない」 この陳述書は、検察側から裁判に証拠として提出されたものを、弁護人が被告本人に見せて、違うところがないか確認をしたようなものであり、ところどころにメモが入っている。この文中、「猛烈に突け」というところに、「しっかり突け」と訂正するようなメモが入っている。 そしてさらに田口少尉について、「(飛行士の)一名は田口によって自発的に軍刀で首を切られた。後に田口少尉が『俘虜の首を切って私の隊の戦死者の仇討ちをした。これでせいせいした』というのを聞いた」 〈写真:田口泰正少尉〉 炭床兵曹長は、最初に福岡でとられた調書の文中、田口少尉が処刑を自分から申し出てやったという部分を「言っていない」と全否定していた。「せいせいした」というのは、さらに田口が自主的に処刑したようにとれる内容だ。前の調書と比べると、この陳述書には、あまりメモが入っていない。重複するところが多いので、訂正を入れていないのかもしれない。炭床兵曹長に関しては、あと一通、「弁護資料」と書かれた文書があった。これが、最終的な炭床兵曹長が述べた真実ということになるのだろうか。 〈写真:炭床静男兵曹長(米国立公文書館所蔵)〉