平成ファッション史 ブランド信仰からカジュアル・低価格・機能性重視に
いよいよ「平成」の終わりまで4か月を切りました。1989年に始まった平成元年から約30年間、ファッションの世界ではバブル経済終盤の「渋カジ」から、ファストファッションの台頭、続いた災害などを反映し、安全性も考慮したスタイルへと変遷しています。また平成の30年間で冬の服装は、機能性の高い防寒着が定着したことで重ね着が減り、重量が約2.5キロからおよそ半分に軽量化したというデータもあります。 若者ファッションなどに詳しい共立女子短期大学・生活科学科の渡辺明日香教授に平成のファッションと流行を振り返ってもらいました。
「渋カジ」登場でカジュアル化進む
平成初期はバブル経済の終盤から崩壊へと向かった時期。東京の男子高校生を中心に渋谷や原宿などのショップで紺のブレザー(紺ブレ)やリーバイスのジーンズなどをまとう「渋カジ(渋谷カジュアル)」が誕生し、東京から全国へと流行が波及しました。 渡辺教授は「渋カジ以前は、DCブランドのアイテムを上から下まで揃えた装いがおしゃれとされていたが、渋カジ台頭によりカジュアルなファッションが注目された。ただ価格帯は大きく下がらず、ブランド志向も継続しており、普段着のようだけれど質の良い物を、がんばってお金を貯めて買うという傾向は続いていた」と分析します。 その後、バイヤーの選択眼で複数のブランドを世界中から集め、独自のコンセプトで商品を提供するセレクトショップが登場すると、「ビームス」や「ユナイテッドアローズ」の路面店で、買い歩きをし、ショップ袋を下げるといった光景が定着。「古着が市民権を獲得したのも平成の前半。ブランドと古着の組み合わせも増えた。バブル崩壊後、ショートパンツに腰パンのスケータースタイルや、トレーナー、パーカー、スニーカーといったストリート系も人気になった」(渡辺教授) NIGO氏が手がけたアメリカンカジュアルを扱う「NOWHERE」が平成5(1993)年にオープンし、「裏原(裏原宿)ブーム」につながっていきます。平成7(1995)年ごろにはスニーカーのナイキ・エアマックスが高値となり、安室奈美恵さんや浜田雅功さんのファッションを追ったアムラーやハマダー現象も見られました。 渡辺教授は平成の中盤に差し掛かるころから、若い男性の美意識がさらに高まったとみています。「ヘアサロンで身だしなみを整えたり、男性向けコスメが人気を集めたりするなど、服装だけでなく身体を含めた全身に美意識を高めるということがおかしいことではなくなった。平成15(2003)年に伊勢丹新宿本店のメンズ館がリニューアルし、一階がコスメフロアとなった時は話題となった。現在もメンズ館はインバウンドの観光客などに人気を博している」と話します。 雑誌レオンが仕掛けた「ちょいワルおやじ」も人気となりましたが、これには高級ブランドの購買層が高齢化しているという面も指摘されています。