男性上司からパンケーキの写真が…「男らしさ」の陰で負った傷の癒やし求める男性 セクハラも?
■セクハラ・パワハラをする人からはどう見えているか聞いてみる
大妻女子大学で男性学を研究する田中俊之准教授は「さきほどのLINEは双方向に見えるが一方通行で、男性が言いたいこと言って、女性が気を遣っているから成り立つ。これは日常的な場面でも様々ある」と指摘しました。 そして「セクハラやパワハラの自覚がない人に自覚させるのは難しい。学問的に追究したいのは、そういう男性の目線で見えている景色がどんなものなのか、だ。たとえば森喜朗氏には『女性がいると会議が長くなる』と見えているとしたら、どうしてそう思うのか、彼らの理屈を把握することで、男性特権的な社会が何なのか、見えてくるのではないか」と提案しました。
■男性社会で傷ついた男は女に癒やしてほしい…が、いきすぎるとセクハラに?
清田氏は「男社会での不信感や癒えない傷があって、それを女性とかにケアしてと求めているのではないか。その求め方が、時にハラスメントみたいな形で立ちあらわれている面があるなと思う」と問題提起しました。「男同士で競争、傷つけあい、ちゃかし、いじって楽しそうにしているが、お互いの話に耳を傾けない、ケアしない」 田中氏も「こんな負けた俺をなんで女はなぐさめてくれないのか、女が強くなったせいで僕らがビクビクしなきゃいけない、などと考え、女性をターゲットにした性暴力含む暴力、犯罪になりかねない怖さがある気がした」と述べました。 島田氏も「自分を勝ち組に置いておきたい人が結構いる。出世競争の原則が組織の中にいきわたっている。過剰適応しようとすると画一的な価値観や行動形態に陥ってしまう。違う生き方を提示しても『下の者』とみなされる」「おたくとは趣味を極めることで競争原理から1回距離を置いて、そこで自分が勝手に勝てる世界を構築する。月に行く宇宙飛行士には、そういう(競争原理)の人が選ばれるかもしれないが、火星に行くには往復の長い期間、宇宙船の中で過ごさなきゃいけないから、そこでも狂わない耐性、自分の世界にひきこもっても壊れない強さなどが必要で、むしろおたくがむいているかもしれない。適材適所。世の中、競争原理だけじゃない、と男同士で共有しうると思う」と述べました。 さらに次のようなやりとりが続きました。 清田氏「マッチョな人、ネオリベラル(新自由主義)的な人たちが作った世界の中で、わりを食う人がいるわけで、その鬱屈する人たちの恨みが向かう先が、なぜか(マッチョな男性でなく)リベラルやフェミニズム」 島田氏「根底に真のエリートへのコンプレックスがあると思う。マッチョ的なことを喧伝して、彼らの仲間に入れてもらう、みたいな。あからさまなマッチョぶりを示すこと自体が、屈折したコンプレックスを持っているという自己申告につながってしまうという矛盾」 田中氏「男性学では『剥奪感の男性化』という。自分たちが持っていたはずのものが奪われているぞと。剥奪感と言っているのが肝で、本当は奪われてはいないのに、奪われている感じがするということです。競争で負けた者が勝った者に恨みを言うのは屈辱的だから、より弱い者、たとえば移民や女性、性的少数者に『俺たちの取り分を奪った』と恨みを言う」