『氷の微笑』監督の最新作『エル ELLE』 米国人女優が主演を拒絶した理由
レイプ犯と過去に父の犯した事件との繋がりは?「この映画の解釈は観客次第」
原作は日本では早川書房から出版されている。原作者フィリップ・ディジャンは、『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』(早川書房刊)の原作者であり、脚本家でもある。激情型の少女ベティと、彼女のすべてを受け入れようとする作家志望の男ゾルグの過激な恋の物語で、1987年に日本で公開され、熱狂的に支持された。恋に突き進んでいくベティの気持ちに100%共感することは難しかったが、ベティとゾルグが醸し出す熱量に観客は持っていかれた。『エル ELLE』もそれに近い。ミシェルの行動に理解できない点があっても、彼女の強さが“共感”を凌駕し、我々を“持っていってしまう”のだ。 PV:「ディジャンは最初の60~70ページでこのミシェルの過去、父と父が起こしたことを少しずつ明かしていく。私はその辺りを記録映像のような形で描くことにした。ミシェルは、自分を襲ったレイプ犯の正体を知り、その上である行動にでる。それが彼女の父親が起こした事件と、どう繋がっているのか、因果関係については原作でも一切触れられていない。むしろディジャン自身はフロイト的な深層心理の分析を拒み、すべてを読者の考えや解釈に任せている。だからこの映画の解釈は観客次第だ。ユング的であれ、フロイト的であれ、解釈に与えられる情報はミシェルの行動のみ。それを埋めていく作業こそ、読者であり、観客に与えられた楽しみなんだと思う。説明は、この物語をバナライズつまり凡庸にしてしまうとディジャンも僕も思っている。実際、イザベルと僕は一切、様々な状況の心理状態について話し合わなかった。それは理解する必要がないから。それこそまさにアートの持つミステリーだ。すべてが明かされていない方が面白いものが出来る。私は、歳を重ねるごとにすべてに答えを与える必要はないと思うようになってきた。ただ、観客がそこに自分のなにかを投影できる余白を作ることは重要だ。人生の本質なんて我々には理解し得ないものなんじゃないかな」