【証言・北方領土】国後島・元島民 池田英造さん(2)
ソ連兵に捕まって殺されるぐらいならば、と銃を持ってきた叔父
――父親1人残って、みんなを送り出そうと思ったのですね。 そうでないと、自分の家族ばかり送り出してという、やっぱり引け目を感じたんでない、世間に悪い、みたい。後で聞きましたけどね。して、最後、大体、地域が80%以上の者が根室へ出たというんで、根室出るときに、我々来た動力船でも6時間ぐらいかかんですよ。無動力船で来ましたからね。無動力船なら倍以上の時間かかる。それで、漁師ですから、荒天時に出ようって決めたみたい。船に帆っていうのあるでしょ、風を利用するのさ。あれを使うと、スピードが増すわけだから。そうでないと、途中でソ連に捕まる。荒天時狙って、出ようと決めたときに、たまたま兵隊に行ってた叔父さんが、国後帰ってたんだね。 して、その無動力船で出ようっていうときに、祖父母が牧場やってた関係で、国有林に馬放牧しっぱなしなんですよ。熊が多いもんですから、もうしょっちゅう、熊に馬やられるね。祖父から、「きょうも馬やられた」って連絡来ると、うちの父は漁仕事終わってから、夕方、鉄砲担いで山へ入る、その熊、撃ちに。そのときに使った鉄砲があったんですよ。して、その島離れるときにね、その叔父さんが、兵隊から帰ってきたバリバリですから、鉄砲磨きかけた。して、当時ね、鉛を溶かして弾をつくったの。たくさん弾つくって、腰につけた。うちの父が、「おまえ、やめれ」言ったら、その返事がすごかった。 「いや、今、行って捕まったら、ソ連に捕まったら、俺ら殺される。どうせ殺されるんだら、殺される前に1人でも2人でも殺してやる」っていうことで鉄砲持ってきた。そういう大変な思いしてきたのね。これも後で聞いた話ですけどね。その鉄砲持ってきましたからね、こっちへ。しばらくありましたね、うちに。だからもしね、何かあったら、やったと思うよ。大変な問題だよ、これね。だからね、何でもなくてよかったなと思ったのさ。その鉄砲ってのね、しばらくあったんだけどね、まあまあこっちに来ても、鉄砲なんて危ないもん使うことないだろうっていうことで捨てちゃったけどね。 そして、今度、語り部に出るようになったでしょ。俺、返還運動始めたの、結構遅いんだよね。というのは、若いころから役を預かってたけども、子育て夢中で、返還運動なんてやってられないっていうような気持ちで、子育てやりましたから。して、子供らが何とか手伝うようんなったときに、「よし、仲間が一生懸命やってんのにね、俺やらないわけにいかない」ということで、返還運動始めだしたのさ。