「生まれ変わった能登に、また来てほしい…」能登地震被災地で兵庫県警・警察官が思わず涙
能登半島地震の被災地・石川県輪島市で、避難所での被災者への寄り添いや、災害警備などを目的とした兵庫県「のじぎく隊(特別生活安全部隊)」の第2陣が2月14日、10日間の任務を終えて帰還した。 【画像】石川県輪島市での兵庫県警「のじぎく隊」 兵庫県警には、1995(平成7)年の阪神・淡路大震災発生時に結成した女性警察官部隊「のじぎく隊」がある。 のじぎく(野路菊)は兵庫県花。能登半島地震の派遣では、男女の区別なく、被災地での支援部隊の総称として「のじぎく隊」とした。 (※被災地での写真提供・兵庫県警) 兵庫県警・生活安全部の各部署で、志願した20代から40代の男女6人の警察官が、のべ44か所の避難所を回り、目まぐるしく変わる被災地と被災者の状況を把握し、幅広いニーズに応えた。それぞれが10日間を振り返った。 震災発生から1か月あまり。避難所で過ごす被災者の数は少なくなった。発生直後とは異なり、一定数の水や食料などの物資は届くようになった。ただ、下水道というライフラインの復旧にはほど遠い。 そうした中、生活安全企画課・安積寛晃(ひろあき)警部補(48)は、「明るく振る舞ってくれる被災者のみなさんの姿に接して、逆に心が痛んだ」と話す。 阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震は鮮明に覚えている世代。「自然には勝てない。あらがうことはできない。改めて、生きるということ、なぜ生きるのかという意味を考えた。被災地はライフラインの崩壊で、復興・復旧には時間がかかる。被災者をホテル・旅館などに移す”2次避難”で輪島市を離れる被災者も多かったが、さまざまな理由で輪島市を離れられない避難所の方々に、有益で正確な情報が行き渡っているのか、ということも考えながら対話を続けた」という。 少年課・岡田朋子巡査部長(45)は、「心の余裕とまでは行かないが、倒壊家屋の解体や修繕、被災し、元の姿もわからなくなった街並みをどう取り戻すかを考える人が多くいた。80代の女性は、「『能登は、本当に美しいところだったんですよ。生まれ変わった能登に、また来てくださいね』という言葉が印象的だった」と振り返る。 輪島市ではビニールハウスに身を寄せて避難する人々の姿も多く、厳しい寒さと、早く訪れた気温上昇に適応せねばならないつらさもあった。震災前では考えられなかったことが目の前にはだかっている。 岡田さんは、何代にもわたって能登の地で生活してきたからこそ、失われた故郷の風景を取り戻すという強い気持ちをひしひしと感じたという。 保安課・中村結衣巡査部長(31)は、震災から1か月後の被災者に接し、「この先の不安や、行き場のない怒りやいら立ち、焦りがあった。そうしたストレスを発散してもらうために、傾聴(相手を否定せず、話に耳を傾ける)することに徹した」と話す。 そして、「震災前の、電気、ガス、水道がある生活がありがたいと感じる。確かに不便な生活だが、今ここに生きていることに幸せを感じたい」との言葉に、強さの反面、将来の生活をどうするのかという危惧を垣間見たという。 高齢者とともにリフレッシュ体操をするシーンが増えた。人身安全課・山本陽子巡査(44)は「避難所生活をしていると、どうしても心が沈みがちになる。屋外で散歩したいと思っても、気が引ける。このままでは言いたいことも言えず、ふさぎがちになってしまうのではないか」と感じた。「出しにくい第一声をどう出すのか、声を出せば気持ちも前向きになれる」。短い時間であっても、軽くストレッチをすることで、心も身体もほぐれ、笑みを取り戻していく高齢者の姿を見た。 被災地の状況は刻々と変わる。生活経済課・漆原(うるしはら)裕貴巡査部長(30)は、「命があって良かった、という段階から前向きに生きようという気持ちになる、それと同時に現実が見えると、生活の再建や街の復興への高いハードルが押し寄せてくる。それが不安につながっているようだ」と思った。しかし、警察官の立場でどうアプローチして、どういう言葉をかけていいのかわからなくなったという。 「仮設住宅はいつできるのか、どうやったらそこに入れるのか、という被災者の切実な思いを、10日という派遣期間が決められた私たちが寄り添えるのか、同じ時間を共有すればするほど、無責任な言葉を発することができない難しさを感じた」と振り返る。 子どもたちと接した生活安全特別捜査隊・高島由菜巡査(23)は、「余震のたびに顔をこわばらせる子どもたちを見ると、心苦しくなった。一緒に歌を歌うと、すぐ近くにいる母親も笑顔になる。マニュアルや規定があるわけではないので、現場でとっさに思いついたのが良かったのかも知れない。私は阪神・淡路大震災を経験していない世代。単に『頑張ってください』と声をかけても、相手の心に響くのか自信がなかった。そうした中、90代の女性から『若い方が来てくださって嬉しい』と涙ながらに話してくれたのが救いだった」と振り返った。
ラジオ関西