「ここには体温がある」野村克也が妻・沙知代を亡くした後になってようやく気づいた自分の「居場所」
「このがらんどうの人生を、俺はいつまで生きるんだろう。俺はおまえのおかげで、悪くない人生だったよ...おまえは幸せだったか....?」 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 生きている間に伝えたかった「ありがとう」をこの本で。名将・故野村克也さんが綴った、亡き妻・沙知代さんへの「愛惜の手記」。2人のかけがいのない思い出から「夫婦円満」の秘訣を紐解いていこう。 *本記事は『ありがとうを言えなくて』(野村克也著)を抜粋、編集したものです。 『ありがとうを言えなくて』連載第5回 『「今晩、何食べる?」「何でもいいわよ」 野村克也さんの妻・沙知代さんが編み出した、驚きの「夫掌握術」』より続く
家には「体温」がある
妻(・沙知代)が他界し、変わったことが二つある。 一つは鍵を持ち歩くようになったこと。 もう一つは、普段は応接間でテレビを観ていたのだが、沙知代がいつも座っていた椅子でテレビを観るようになったことだ。ニコチンの臭いが染み付いた食堂の椅子である。 沙知代を失って、家にも「体温」があるということを初めて知った。 一つは、私の帰宅時に妻がいないことはほとんどなく、エアコンが効いてない家に帰ることがなかったという意味においてだ。冬は本当に寒い。 そして、もう一つは精神的な意味においてだ。人のいない家は、暖房をつけても、冷え切っている。もともと一人暮らしであったなら、そんなに寒くは感じなかったはずだ。
大きな家なのに「食堂」ばかりにいる
人というのは、いるだけで暖かいのだ。 私は愛だの恋だのを語れるほど女を知らない。だが、50年近く連れ添った女が突然消えてしまうこととはどういうことなのか。それはよくわかった。 猫はいつも家の中でいちばん暖かいところに寝ている。今の私もそうだ。この家の中でいちばん暖かそうな場所。それが沙知代の座っていた椅子なのだ。大きな家なのに食堂ばかりにいる。もったいないよな。 沙知代は写真を飾るのが好きだった。食堂には写真立てが10個くらい並んでいる。前の旦那がアメリカ人だったせいだろう、感覚がアメリカナイズされている。 家族と一緒に写っているもの、孫と一緒に写っているもの等々――。昔のものは、もうだいぶ色あせてしまった。 目の届くところは、サッチーだらけだ。 それなのに、沙知代だけがいない。
野村 克也(野球解説者)