「受け手(やす子)が許せば問題ない」は通用しない。フワちゃんCM削除に見る、「Googleの判断」が極めて妥当な理由とは?
■「◯ね」は、安易に発していい言葉なのか 個人的な話をお許しいただきたい。私の身近に、精神科医にかかっている人がいる。もちろん珍しいことでも、恥ずかしがるべきことでもない。また、重度ではない。私ができることといえば、たまに会って、たわいもない話をすることだ。 【画像】やす子「とっても悲しい」。それを受けてフワちゃんがXでポスト ときにメディアで「◯ね」とか、それに近い言葉を目にする。なかには笑いながら言い合っているものもあるので、発言者の意図が邪悪なものばかりとは思わない。しかし、私はつねに、冒頭で紹介した身近な人間を思い出してしまう。
それらの言葉はもちろん、その人に投げられたものではない。ただ、ときに気持ちが落ち込んでいる瞬間に、次々と「◯ね」といった言葉が目に入ってきたらどうだろうか。どんな感情にいたるだろう。最悪の選択だけはしないでほしい、と私は願う。 【画像10枚】フワちゃんCMを即削除(非公開)としたGoogle。企業行動規範は「Don't Be Evil」で、サプライヤー(供給者)にも厳しいポリシーを課している 先日、厚生労働省の統計を見て驚いた。精神疾患を有する総患者数は約614.8万人もいて、外来は約586.1万人にもいたる。このなかには認知症も含まれている。だからすべてが気分障害ではない。しかし、予想以上にその数の多さに驚いた。
かつてテレビなどでは今日よりずっと暴言が溢れていた。それは芸能人同士の演出だったり、お約束だったりしたかもしれない。ただ、気分障害を抱える相当数の方が気を害したにちがいない。 たとえば「嬉しすぎて死んじゃいそう!」というフレーズを聞いて落ち込むひとはあまりいないだろう。「これが達成できたら死んでもいいよ!」などもポジティブな感覚がある。 ただし、「◯ね」を使い、ポジティブなフレーズは思いつかない。かなり強い表現だ。発する本人の意図とは別に、冗談や軽い意味とは捉えられず誤解を招く。それに、自分の発言がどこかで最悪な引き金をひく可能性は自覚しておきたい。