〝主役〟支えた大親友・林与一 舟木について語った「あの方に脇役はできません…いつまでも神輿を担いでいきたい」
【舟木一夫 出会いと別れの80年Part2】 〝ヨイっちゃん〟こと林与一(82)は、舟木一夫(79)の大親友の一人だ。1964年のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」での共演から始まり、2017年12月に東京・新橋演舞場で行われた舟木の芸能生活55周年特別公演「忠臣蔵」では、舟木が大石内蔵助、与一が吉良上野介を演じた。 【写真】「御三家」として一時代を築いた西郷輝彦、橋幸夫、舟木一夫(1980年撮影) 舟木が矢頭右衛門七、与一が堀田隼人を演じた「赤穂浪士」の撮影中、大先輩の山田五十鈴や宇野重吉ら重鎮が入ってくると、予定された出番が後回しになった。ある時、時間潰しに舟木が住んでいた東京・四谷のマンションでコーヒーを飲むことにした。 衣装のまま刀も持ってタクシーに乗って舟木宅に向かう途中、赤信号の交差点で止まった。窓からのぞいた警察官に「あなた方は一体何ですか」と職務質問された。困った舟木が〝赤い夕日が~〟と歌い出すと「あっ! 舟木さんですか」。現行犯逮捕されるところだった。 舟木が1971年8月、東京・明治座の「忠臣蔵異聞・薄桜記」で主役・丹下典膳を初演した際、観ていた与一が脚本・演出の土橋成男に「いつかは俺にも典膳をやらせて」と頼んだ。数年後に「舟木ちゃんからも先生に頼んでよ」。舟木の助言が効いて、与一は80年8月の明治座で念願がかなった。 ところが、実際に演じてみた後、90年の舟木の2度目の公演を観ると、「典膳はやはり舟木ちゃんだ。今度やる時は堀部安兵衛をやらせて」。そして舟木が99年8月に東京・新橋演舞場で3度目の「薄桜記」をやることを知った与一は、企画したアイエスの伊藤喜久雄社長に2度も電話し「安兵衛は舟木ちゃんとの約束なので俺がやりますから」と実現させた。 与一はその後も舟木の座長公演で何度も共演しているが、あるBS局で舟木について「これだけ時代劇を愛してお芝居ができる人はいません。こんなに長く続いているのは彼の人間性そのもの。あの方に脇役はできません。いつまでも神輿を担いでいきたい」と語っていた。 =敬称略 (大倉明)
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