名プロデューサーはなぜ「NHK」を去ったのか…本人が初めて明かす「真意」
多くの人を震撼させた「環境ホルモン」問題や、科学史上空前の大スキャンダル「論文捏造」事件を扱った番組で社会に衝撃を与える一方、「すイエんサー」などエンタメ色の強い人気番組も多く開発し、NHKきっての敏腕制作者として数々のヒットを飛ばしてきた村松秀さん。そんな大プロデューサーが2年前、突然NHKを退職したことはメディアの世界を驚かせた。 【写真】これから給料が「上がる会社」「下がる会社」全一覧…! コロナ禍の中でも視聴者を感動させる話題作を制作するなど、ますます脂が乗りきった作り手だったのに、なぜテレビの世界を離れたのか。50代でまったく新しい分野に飛び込み、挑戦したかった夢とは? 今、村松さん本人がその真意を明かす。
50代前半での転職
四十にして不惑。いや、迷いまくってきた。 五十にして天命を知る。いや、天命など全然わかっていない。 だが、とにもかくにも、50代前半にして転職をした。NHKのプロデューサーから、メディア系の大学教授へ。NHKではまだ定年に達していなかった。 転職すると言うと、多くの場合、驚かれたし、「なぜ?」と理由を問われたことも少なくない。自分の中ではナチュラルな成り行きなのだが、そこに至るまでの想いについて、また、この年齢で職を変えて何をしたいのかについて、もしかしたら、読者が生き方や働き方を考える際のお役に立つところもわずかながらあるのかもしれないと思い、筆を執った。 詳しくは後述するが、筆者の場合、仕事とは「公共のためのフロンティアを作ること」なのだと思っている。それをNHKで追究していくうちに、気づいたらNHKの外側へ転身していた、という方が実際の経緯に近いのかもしれない。
無謀な就職にあえてチャレンジ
もともと、大学では理系だった。 工学部で凄い俊英たちに囲まれ、3年生の時点で早々に、自分には研究に命を捧げられるような才能はないと気づいた。そこで当時、理系のキャリアパスとしてはまったく想定されていなかった道をあえて考え、将来に向けて、一発逆転に賭けることにした。それが、中学の頃からの憧れだった、テレビの世界への挑戦だった。 筆者は幼いときからテレビが大好きなテレビっ子で、とくにNHKの「ためしてガッテン」の先駆的番組である「ウルトラアイ」や「トライ&トライ」などの生活科学番組をワクワクしながら見ていた。研究の道からドロップアウトして就職を考えるにしても、一応は理系だからこそ、あのような科学系の番組を作ってみたい、という思いが募ったのだった。 とはいえ、当時は、テレビメディアに就職するなど、ごくごく一握りの人だけが叶えられる夢物語と思われていた時代である。しかも、理系出身者が番組制作をすることなどまったく考えられなかった(今は違うが)。だからこそ筆者は、あえてチャレンジしてみようと無謀なことを考えたのだった。