いつも日産車が隣にいた僕のクルマ人生
ドライバー誌は社長も含めた総力でメンバーを編成。見事、「日本一周ノンストップ」をやり遂げた。それも、平均速度は50km/hを超えたのだからすごかった。 1970年代後半辺りから、車両開発に当たって、「世界の道を知る」ことの重要さ、そしてテストコースのあり方を大いに議論した。 当時のテストコースは定常テストを中心に設計されており、「生きたテストコース」ではなかった。僕は一般道に近い生きたテストコースが必要だと主張。熱い議論を重ねた。 その後、海外の道と路面を調査するスタッフも任命され、僕が走った「記憶に残る道と路面」の多くも調査対象になった。 芦ノ湖スカイラインを早朝に占有してのテストもその一環として行われた。僕もドライバーの一員として参加したが、当時のテストコースではまったく得られない、貴重なデータが多く得られた。 インフィニティ ブランドの立ち上げにも関わった。特にトップモデルのQ45には、早い時期から開発陣と多くの時間を共にした。 個性的に過ぎたデザインには賛成できなかったが、後発のプレミアムブランドとしては、大胆なアプローチが必要だということは理解できた。 カルロス ゴーン体制になった時、新しい日産はどうあるべきか、新しい日産はどんなクルマを創るべきか、、各部門のトップと夜を徹して議論したことも、貴重な思い出だ。 創立90周年を迎え、次は100周年に向かう。 いろいろな意味で大きな転機 / 岐路に立っている自動車業界だが、今後、日産がどんな歩みを進めるのか、、想像、あるいは妄想は果てしなく広がっていく。 創立100周年が、明るい未来を明快に照らし出すような、そして多くの日産ファンが、心からの拍手と賛辞を贈る、、そんな100周年になってほしい。心からそう願っている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽