デビュー25周年で再結成、メロン記念日の軌跡「ハロプロのお荷物グループが伝説に変わった日」
1999年に結成、『This is 運命』など今もなおハロー!プロジェクトで歌い継がれる名曲をリリースしたアイドルユニット「メロン記念日」。2010年に惜しまれながら解散した彼女たちが、デビュー25周年目の節目に3人で再結成。15年ぶりに本格活動を始めるメロン記念日に直撃インタビューを敢行した。(メンバーの斉藤瞳は新潟からリモート参加) 【写真】リモートから参加の斉藤瞳と村田めぐみ&柴田あゆみ撮りおろしカット【7点】 ──現役当時のお話もお伺いしたいのですが、まずメロン記念日を結成したときのお気持ちから教えてください。 柴田 グループで良かったと思いました。しかも4人組だったので、SPEEDさんと一緒の人数だ! とうれしかったのを覚えています。 村田 4人それぞれ見た目の系統がバラバラだから、どんなグループになるんだろうと思いましたね。柴田は私よりも3歳年下で、当時は15歳だったんですが、それよりも幼く見えて純粋でかわいらしい子だなと。ひと(斉藤)は新潟のいわゆるコギャルで、大谷(雅恵)は北海道の色白ギャル。同じギャルでも地域によって系統が違うんだなと思いました(笑)。 斉藤 私はプライベートだったら交わることがない4人が集まったという印象。結成当時からそれぞれの色がしっかりあるなと感じました。 ──2000年2月19日に『甘いあなたの味』でメジャーデビュー。ただ、最初に出した3枚のシングルはセールスに恵まれず、グループは伸び悩みます。 斉藤 モチベーションは、だだ下がりでした(笑)。ライブも基本的にモーニング娘。さんのゲストで出て1曲だけ歌うとか。なんならメロン記念日の時間になると「トイレタイム」と言われて……苦しい日々でしたね。何が正解なのか私たちも分からなかったので、必死にしがみついて活動をしていました。 柴田 でも当時のハロー!プロジェクトの先輩たちはシングルを出せばヒットという状況ですから、私たちも必死で追いかけるしかない。4枚目のシングル『This is 運命』(2001年10月11日リリース)を出す前に、スタッフさんから「この船に乗れなかったら解散だぞ」と言われていたくらいです。 ──そしてリリースされた『This is 運命』はグループの状況を一変させる起死回生の1曲となりました。初めてデモを聴いたときの印象はいかがでしたか? 村田 それまでの3枚もそれぞれ曲調が違いましたが、『This is 運命』は特にテイストが違っていて、振り切ったような印象がありました。それまでの私たちはハロー!プロジェクト全体のリハーサルがあるときも控えめに隅にいるような感じで、どう自分たちを前に出すのか分かっていなかったんです。それが『This is 運命』によって前のめりになったというか。 斉藤 でも正直なところ、レコーディングの時点では私たちの運命を変えてくれる曲になるとは思いもしませんでした。 柴田 『This is 運命』のPVも予算を抑えるために曲尺がハーフだったからね(笑)。 斉藤 ただグループを終わらせないための必死さと、もっと個を打ち出そうという思いが相まって、1個スイッチを入れ直すきっかけにもなりました。メンバーで地道に有線(現USEN)にリクエストしていたのを覚えています(笑)。