「承認欲求にはきりがない。満たされないとすごくつらい」村山由佳が“官能を禁じ手”に描いた“文壇お仕事小説”が面白すぎる!【還暦の新境地】
自分が作家に擬態してるだけだと思っていた
―これまで『ダブル・ファンタジー』『放蕩記』『ミルク・アンド・ハニー』で自身の承認欲求をみつめ、今回は創作上の承認欲求を描いたと言えます。賞を取りたいという作家の心に深くダイブしています。 村山 こうしてみると承認欲求のお化けのようですね(笑)。今挙げてくださった3作品などで生来の自分自身への承認欲求を書いてきて、『ミルク・アンド・ハニー』のラストあたりで割合と決着がついたところがあったんですね。現実に今のパートナーとの生活が、落ち着いたものであることも大きく作用はしているんですけど。 ところが、まだややこしく蠢(うごめ)いてるものはありました。それは生活と両輪で走ってきた仕事の面です。謙虚なふりをしているようで嫌な感じに受け取られそうですが、私は自分のことをずっと認められずにきたんです。 母親の前でいい子のふりをしたり、男の前でいい女のふりをしたりするのと同じように、私は、自分が作家に擬態してるだけだと思ってきました。こう書いたら人が感心してくれるだろうという文言を、才能のあるふりをしてトレースするのが上手なだけなのに、なんで誰もそれを見破らないのだろうと。作家になって以来、それが一番しんどくて、いつバレるか怖かった。
サイン会の後に反省会を開いて出版社の幹部陣にダメ出し
―カインは強烈な性格で、サイン会の後に反省会を開いて出版社の幹部陣にダメ出しをしたり、新幹線のグランクラスがホームのエスカレーターに遠いと文句を言ったり、文藝春秋の編集者に直木賞候補作が決まったか迫ったりします。 村山 私はいい人ぶりっ子をする方なので、もしそう思ってもおくびにも出さない。むしろ自分の欲求を口に出せる人が羨ましいです。連載を読んだ編集者は「いや、でも思ったこともない不満は書けませんよね」と震えあがったそうですが(笑)。 カインがある編集者に初校ゲラを送り返す時、返送用の着払い伝票の差出人欄に自分の住所氏名が書かれていないことに腹を立てる場面があります。そうしたら、おかしいことに編集者さんたちが、伝票に私の住所氏名を書いて渡してくれるようになったんです。全然そんな必要はないのに。 自分の内面とかけ離れているセリフには、つい間投詞のように「ごめんね」と入れてしまい、担当者に「カイン先生はここで謝らないと思います」と言われてしまったほどなんですよ(笑)。 ―そんなカインですが、子どもの頃から本に救われてきた思いがあり、書くことにはとても誠実です。そして伴走する緖沢千紘(おざわちひろ)という編集者を得て変わっていきます。 村山 彼女には譲れないものがあって、書くものに関してはズルをしない。連載中に読んでくださった方たちが、カインのことを初めは嫌な作家だと思ったけど、最終的にはかっこいいと思うようになったと言っていました。書いていても、徐々に彼女が愛おしくなりました。私にない部分がいっぱいありますからね。 ―一方、千紘は「直木賞をカインに獲ってほしい」「天羽カインという怪物めいた作家をいちばん深く知っているのは私だ」という独占欲にも似た思いを持ち、カインと自分を同一視してしまいます。 村山 2人でゾーンに入ってしまうというか……。でも、編集者の皆さんにはいつも頭が下がります。家族にも話さないようなことを、何かの肥やしになればと話してくださるんです。その中から濾(こ)しとられたものが小説になっていく。そういう関係性って他にないですよね。お互いの信頼が深まっていくと、この人のためにすごいものを書きたいと思いますよ。 カインが千紘と一緒にアカスリに行って、深い話をしますね。これは私の実体験です。『星々の舟』(03年刊・直木賞)を本にする時に、ある2行を削る提案をしてくれた編集者です。 「すべてがここから始まるのだと、あの頃は二人ともが思っていた。/似てはいても違っていた。あれは、すべてが終わる始まりだったのだ」という部分で、「後ろの2行、なくてもいいかも」と言われて、その部分を隠して読んでみたら、本当にそうなんです。目が開かれた感じがしました。ああ、こういう余韻の残し方があるんだと学んだのが、この時だったんです。これはそのまま作中で使いました。