ヤマザキマリ 欧州と日本の雑誌は何が違う?「何歳だから」「どんな職種だからこうでなければ」といった固定観念の括りが緩やかな世界では皆元気に年を取っていく
海外の雑誌が久々に読みたくなったというマリさん。欧州のファッション誌と日本の雑誌で何が違うかといえば――。(文・写真=ヤマザキマリ) 【写真】マリさんが撮影した雑誌が並ぶ街角の風景 * * * * * * * ◆久々に海外の雑誌が読みたくなって 久々に海外の雑誌が読みたくなったので、都内の書店でイタリア版とフランス版の『ヴォーグ』を調達した。 『ヴォーグ』レベルのファッション誌に掲載されている写真は、気鋭のカメラマンによるアーティスティックなものが多い。 貧乏画学生だった頃は作品のヒントになるので、食費を切り詰めてもこうした雑誌をよく買っていた。つまり、私にとってのファッション誌は、モデルたちが着用している衣服を見るためのものではなく、写真集としての要素が強い。 商品カタログ的な志向がある日本の婦人雑誌に比べ、欧州の場合、モデルも、彼らが身につけている衣服も、そして背景も、すべてはカメラマンが表現しようとしている世界観の一素材であり、読者たちも私と同様、半ば写真集を眺める感覚でファッション誌を読んでいる傾向が強いように思う。 日本の場合は、写真のモデルたちを眺めつつ、こんなふうになりたい、こんな着こなしをしたい、という願望を読者に抱かせる効果があるが、たとえば『ヴォーグ』の人間離れした10頭身の肢体にドラマチックなポーズのモデルを参考にしようと思う人がどれだけいるかという話である。 ひと口にファッション誌と言っても、その読まれ方には国によってこうした差異がある。 日本の雑誌との一番の違いは、欧州のファッション誌は対象年齢の設定が定かではないという点かもしれない。たとえば、今回買ったイタリア版『ヴォーグ』の表紙は71歳の女優のイザベラ・ロッセリーニだが、その顔には細かい皺が刻まれていて、レタッチはいっさい施されていない。
◆このままで美しい 表紙の文言も「BELLA COSI(注:正しくはIにアキュート・アクセントが付く。このままで美しい、の意)」のたった一言。 そういえば、年齢を重ねた女性の顔というのは、そもそもこういうものだよな、としばらくイザベラの顔にうっとり見入ってしまったが、確かに、揺るぎない意思を持ったその眼差しも、柔らかい微笑みも、皺があるからこそ引き立つ美しさだと言える。 表紙をめくれば相変わらずハイブランドの煌びやかな広告が続き、若いモデルたちが大胆なポーズでグラビアを彩っている。雑誌の後半には表紙を飾ったイザベラ・ロッセリーニの特集が掲載されているが、1ページは丸々テキスト、次ページは1枚の写真だけ、という展開が数ページ続く。文字量としてもなかなかの読み応えである。 イタリアにいる時は、私が読み終えたファッション誌はたいがい、私より若い小姑と私より18歳年上の義母に回す。彼女たちが読み終わると、数年前までは、当時100歳近かった義母の母と姑が読んでいた。裸同然の姿でポーズを取るモデルを指し、「嫁に行けないよ、この娘は」などと茶々を入れつつ、楽しそうにページをめくっていた。 彼女たちにとってのファッション誌は目の保養であり、時代とともに移り変わる美的感覚の参考書なのである。 何歳だから、どんな職種だからこうでなければならない、といったような固定観念の括りや縛りも緩やかで自由な世界では、皆元気に年を取っていく。
ヤマザキマリ
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