「何か自虐を言えない世の中のほうがつらい」―― 川村エミコ42歳、仕事・恋愛に忙しい日々
女性芸人への道 母が後押し
舞台に立つ人になりたいと思ったのは、小学生のとき。参列した祖父の葬式で、劇団役者だった叔父の喪主スピーチが面白く、場の空気が和んだことが強く印象に残った。「自分の性格や実力を無視してでも、おじさんみたいになりたい――」。その思いが川村を突き動かした。小学校では人知れずサインを考え、高校では「大きな声を出せる部活」として剣道部を選び、大学では念願の演劇研究会に所属した。お笑い芸人、さまぁ~ずのライブを見たことで、「芸人」という仕事を強く意識するようにもなった。 だが、女性芸人はまだ珍しい時代。両親はそれぞれ異なる反応を示した。 「父は寡黙で特に何か言われた訳ではないですが、大反対だったんだと思います。一人暮らしの家に公務員の願書が毎年送られてきてましたし。でも母が、『エミちゃんがやりたいことあるなんて、すごいすてきじゃない』って、めっちゃ応援してくれて。途中でうまくいかなくて、やめようかなって言ったときも、『絶対やめちゃ駄目』『いいじゃない!別に人生一回なんだから』って言ってくれて…」 2002年、女性芸人を募集していたホリプロに履歴書を送り合格。本名(川村恵美子)と同姓同名のセクシー女優がいたため、「川村エミコ」として芸人デビューした。 「ピンのときは、『芸人=明るくなきゃ』ってずっと思っていて。『コケシココケシコ、コココココ。自称こけしちゃんこと、川村エミコでごぜいやんす』とかやってた。でも、あんまり受けなくて(笑)。ある日、『20歳になれば、きれいになれると思ってた』って倒れるネタをやったら、共感をしていただいたのか、すごい受けて。普段思ってることをネタにしたらいいんだって。そこからネタのつくり方が変わって、すごく楽しくなりました」
自虐でも言えた方が幸せ
2007 年には、事務所のオーディションで、のちに相方となる白鳥久美子と出会う。 白鳥は著書『処女芸人』の中で、川村の第一印象をこう述べている。 “(川村が)「ブ、ブ、ブ~スよ来い」というネタをやっていたのですが、なんて気の合いそうな人” “ネタ見せでのエミコさんは、(…)「盗まれた下着が次の日返ってきました」といった類の、エミコに降りかかるブスゆえの不幸体験を語っていました。(…) 久美子は、「私はこの人ほど不幸ではない」と思いました。初めて自分よりブスな体験をしている人に出会いました。久美子はエミコさんから目が離せなくなりました” 川村はR1準決勝に進出するなど、ピンでの活動も軌道に乗り始めていたが、「二人でいる方が楽しい」と、08年に白鳥とお笑いコンビ「たんぽぽ」を結成。その2年後には、大きなチャンスを掴む。当時大人気だったバラエティー番組、「めちゃ×2イケてるッ!」の新メンバーオーディションに合格したのだ。 「白鳥さんと組んでなかったら、たぶん選んでいただいてなかった。私1人だと、絵でいったら、線画じゃないですけど、ほんと地味な白黒の絵。白鳥さんと組むことで色がカラーの、『ちびまる子ちゃん』に出てくるような2人になれた。『ポップさ』をたんぽぽで手に入れたって思います」