「何か自虐を言えない世の中のほうがつらい」―― 川村エミコ42歳、仕事・恋愛に忙しい日々
幼少期、あだ名は「粘土」「かさぶた」
神奈川県横浜市で、川村家(当時父40・母38)の第一子として生まれた。小さいころから、静かで控え目な性格だった。 「小学2年生の時、休み時間にじっとしてたら、『おまえ、粘土みてえだな』って、『粘土』って呼ばれるように(笑)。中学校では美術部だったんですけど、模写をしていたら絵具が顔にも付きまくっていて。『おまえ、傷すげえな、かさぶたいっぱいじゃねえか』って、『かさぶた』って呼ばれるようになりました(笑)。『粘土』は全然嫌じゃなかったです。私に『粘土』ってあだ名を付けた男の子には、むしろ助けてもらって。落とした消しゴムをひょいって拾ってくれたり、優しかったんです」 「憎しみ」「怒り」の感情に左右されず、別の視点から物事を捉え、考えてみる。 「風貌に関してはなんとなく、自分があんまりかわいいほうじゃないってことは分かっていて。親戚の中では、自分より1個上の従妹のみほちゃんが可愛がられていて。スレンダーでバレエ習ってイケていて、お姫さまだった。でも、悲しいとかもなかったんですよ。上には上がいると思ったから、みほちゃん、自分のことかわいいって思い過ぎじゃない?ぐらいに思ってました(笑)」
周りとの違いで悩みやすい幼少期。人を責めたり、卑屈にならなかったりした背景には、両親の存在が大きいと目を潤ませる。 「父から『エミちゃん、きれいなほうじゃないから、字はきれいじゃないといけない』って、衝撃の言葉をかけられて習字を習い始めました。今考えれば、ほんとにありがとうって思います。字がきれいってだけで、別にだからどうってわけじゃないけど、そんな一つが、自分のちょっとした自信になって」 「あと、母がしょっちゅういろんな所に連れてってくれたので、何か充実してた。高島屋で子ウサギに触れるイベントとか、こどもの国とか……。違う世界があることを知ってたのは救いでした。そんな両親のおかげで、これで生まれてきたから、このままの自分を受け入れて頑張る、みたいな考え方ができました」