「心のバランスを崩した」10代で“脱ぐ女優”のレッテル…衝撃的な役柄でデビューした高橋惠子の今
「関根恵子は死んだ」結婚を機に高橋惠子に改名
1982年、高橋伴明監督の『TATTOO〈刺青〉あり』で、銀行人質事件の犯人の愛人役を演じる。男からDVを受けながらも、妖艶で気位の高い女の役だ。 「監督は寡黙でしたが、真摯で誠実でした。渡された台本を読んで、これは私が演じなきゃいけないって天啓のようなものを感じ“やらせてもらいます”と。破格に安いギャラでしたが(笑)」 この映画が縁で、27歳で高橋監督と結婚。「“関根恵子”は、死んだ」と言って、“高橋惠子”に改名する。 「関根恵子という名前のイメージを保ったまま結婚生活を送るのは、すごく無理があると思ったんです。自分に近いところから、もう一度女優を始めたかったので。高橋の姓は、夫に相談するわけではなく、自分で決めたことです。彼から高橋になってくれと言われたなら、いやだったかな」 高橋監督とは、映画に対する情熱など共通するものも多く、飾らずに自分を出せる人だった。その分、ケンカもよくした。 とっくみあいのケンカもした。惠子さんの得意技は“頭突き”と高橋監督は明かしている。 「最初の2年は、もう大変でした。ベランダに古いお皿とか置いといて、悔しいときはバーンと割っていましたね」 その後1女1男に恵まれ、子どもを自然の中で育てたいと、東京郊外に家を建てる。 「子育ては大事にしたし、楽しみました。絵本も子どもがいなかったらたぶん読まなかったと思うし、子どもによって、違う窓が開いたという感じ。子どもが親にしてくれたのね」 惠子さんは、子どもたちが少し大きくなるまで仕事をセーブし、学校の行事にも参加。家には、惠子さんのお母さんも同居し、犬や猫も常に何匹かいた。牧場で育った惠子さんにとって、暮らしの中に動物がいるのは、当たり前なのだ。 娘の佑奈さんが、母・惠子さんの思い出を話してくれた。 「母は女優っぽいところがなくて、家庭のことをするのも好きでした。父はしょっちゅう家にスタッフを連れてくるのですが、母はかいがいしく料理を出したりしていましたね。翌朝も仕事なのに大丈夫かな、と子どもながらに思っていました。母は、自分を後回しにしても、家族に尽くすタイプなんですよ」 ユニークな思い出も。 「母は家に帰ると、自分を切り替えるのですが、私たち子どものために、お手伝いさんの役、魔法使いのおばあさん、家庭教師の先生などの役柄になってくれて、ワクワクしたことを覚えています」 お手伝いさんになって家事を片づけたり、魔女の声色で薬を飲ませたりしたそうだ。 その佑奈さんは、13年前から、惠子さんのマネージャーを務めている。