ひょっとしたら死ぬかも…元テレ朝アナの佐々木正洋さん髄膜炎を振り返る
【独白 愉快な“病人”たち】 佐々木正洋さん(70歳/元テレビ朝日アナウンサー) =髄膜炎など ずっと夢を見ていた…歌手の井上あずみさん脳出血での緊急手術を振り返る ◇ ◇ ◇ 2012年にフリーになってからというもの、次から次に病気をしました。特に印象深いのは、13年の「髄膜炎」です。「このまま死ぬんじゃないか」と思いました。 当時、サラリーマンからフリーになって収入が半減し、世の中の厳しさとがむしゃらに戦っていました。できるだけ人に会い、1カ月に名刺を800枚も配っていた頃です。精神的にクタクタになっていたんでしょうね。 ある日、朝から体がだるいときがありました。ちょうど、かみさんが女友達と2人でヨーロッパ旅行に行って、家に僕と愛犬だけだった間の出来事です。だんだん熱が高くなって、愛犬を抱っこしながら「つらいね~」なんて話しかけていたんです。すると、急に力が抜けてソファからズルズル滑り落ちてしまいました。 その日は運悪く日曜日でかかりつけ医は休み。仕方なく救急病院にかかると、「きっと風邪でしょう」という頼りない診断をされ、薬をもらって帰ってきました。でも翌日になっても熱が下がらないので、かかりつけ医を受診すると、即座に「髄膜炎かもしれない」と判断し、「もし髄膜炎だと大変なので」と午前中の診察時間のあと、先生自らタクシーで大きな病院まで連れて行ってくれました。 案の定、「ウイルス性髄膜炎」と診断され、10日間の入院を余儀なくされました。点滴治療が行われましたが、40度以上の高熱と頭痛に1週間苦しみました。それはそれは苦痛で、頭を1センチでも動かそうものならズキーン(!)とするんです。もうね、頭の芯まで痛いんです。だから頭は動かせない。寝返りを打つと痛みで目が覚めてしまって全然眠れない。朝になると、隣のベッドの人に「一晩中うなっていましたね」と言われるくらいで、つらくてつらくて本当にしんどかった。
息子と久しぶりに親子らしい会話ができた
その頃、かみさんはヨーロッパ。後から聞いた話では、一緒に行った友人(女医)と「今から帰っても仕方ないわよ。ウイルス性の髄膜炎だったら、おとなしくしていれば治るから」なんて会話をしていたそうです。 髄膜炎は、頭蓋骨と脳の間にある髄膜がウイルスや細菌に感染して起こる病気で、ウイルス性の髄膜炎は1週間程度で症状が治まり、後遺症もなく治るそう。これが細菌性髄膜炎だったら重体になる可能性があったようです。 結局、かみさんはヨーロッパ旅行を満喫して、フランスのエシレバターなんか買って帰ってきましたよ(笑)。 でも、自分が病院に足を運べない代わりに息子をよこしたんです。面会にやってきた息子は「なんで早く言わないんだよ」と言ってくれて、それがちょっとうれしかった。「そっちも仕事があるんだから迷惑だろうと思ってさ」と返しましたが、久しぶりにそんな父と息子らしい会話ができて、かみさんにちょっと感謝でしたね(笑)。 髄膜炎は幸いにもウイルス性でしたが、あまりの頭痛に「ひょっとしたら死ぬかも」と思ったときがありました。でも、不思議と怖くなかったんです。それまでの自分は死への恐怖があったのですが、実際に死を身近に感じてみると、意外と客観的でそんな恐怖がないことが新たな発見でした。 走馬灯のように過去を思い出すこともなかったし、家族に会いたいという気持ちすら湧かなかった。そのくらい現状の自分のことで精いっぱいだったのです。治ってから、親しい友人には「大丈夫だよ、本当に死ぬかもしれないってときは怖くないから」と体験談を語っています。 髄膜炎のあと、17年の年末には「逆流性食道炎」と「突発性難聴」を発症し、20年には「虫垂炎」、3年ほど前には「大腸ポリープ」と、次々と病気に見舞われました。 今考えてもつらいのは、虫垂炎のとき、手術の後、やけに気弱になって病室から今は亡き渡哲也さんに電話をしてしまったことです。フリーになってから、ちょくちょくお仕事に呼んでいただいて、一緒に渡さんの隠れ家的なお店でお食事をさせていただいたこともありました。「渡です」と渋い声で残してくださった留守電メッセージをいつまでも消せずにいたくらい尊敬する存在でした。 不意にかけた渡さんへの電話は留守電になっていましたが、盲腸で入院していることと、なぜかお声が聞きたくなった旨をメッセージに残すと、10分後にまさかの折り返しのお電話があり、大緊張しました。まだ手術の痕が痛かったのに、そんなことを忘れてベッドに正座していました。渡さんは「治ったら前に食事に行ったところへ行きましょうね」と言ってくれたのです。もう、それだけですっかり回復した気分でした。 それが6月中旬のことで、渡さんは8月10日に亡くなりました。お電話のときには、もうかなり悪かったんです。それなのに有頂天になって、「なんて自分のことしか考えていなかったのか」と自分を恥じました。と同時に、渡さんの懐の深さを感じずにはいられませんでした。 病気から学んだことは、自分が弱い立場に立った時に、人の自分に対しての本当の気持ちがよくわかる、見えるということです。 (聞き手=松永詠美子) ▽佐々木正洋(ささき・まさひろ) 1954年、福岡県出身。1977年にテレビ朝日に入社。昼のワイドショー「ワイド!スクランブル」の名物コーナー「夕刊キャッチUP」を16年間担当するなどし、2012年にフリーに転身した。最近は舞台にも挑戦中で、11月14~18日には内田康夫生誕90周年記念公演「軽井沢殺人事件~浅見光彦VS信濃のコロンボ~」(渋谷・伝承ホール)に役者として出演する。