新学期の子どもの「しんどさ、苦しさ」への対処法 大人社会の余裕のなさが子どものつらさを生む
子どもへの声かけの注意点と「ずるい」に潜む大人のSOS
日頃の声かけを積み重ね、信頼関係を築くことが大切だと語る鴻巣氏。だがこれを教員が教室の全員に徹底することは不可能だ。より密なコミュニケーションが家庭でもなされるべきだが、そうしてもらえない子どもの家庭ほど、困りごとが生じるリスクが高い。 「公教育の場はすでに福祉の要素を含んでいて、そのポジションから引き返すことは子どもたちの利益になりません。学校は地域や家庭の問題を可視化する力がある、いわば児童福祉のポータルサイトのような役割を担っているわけですが、すべてに先生が対応することは到底できませんし、先生任せにしてはいけません。必要なのは、私たちのようなスクールソーシャルワーカーやカウンセラー、医療関係者など、さまざまなプロフェッショナルをどんどん入れて、学校に人を増やしていくこと。やっとできたこども家庭庁にも本領を発揮してもらって、先生の負担を手放していくことです」 福島に拠点を置く鴻巣氏は、「10年以上ずっと、何かしらの危機が子どもたちを襲い続けている」と言う。東日本大震災の癒えない傷、そこを見舞ったコロナ禍、長引く不況。余裕のなさが大人にも子どもにも苦しい空気を生んでおり、例えば「自己責任論」もそこから来たものだと考えている。 「家庭が裕福でないなら、飛び抜けて優秀ではない子どもは進学する必要がないという人も多くいますね。貧乏なら奨学金を借りればいいとか、お金がないのに進学したいならもっと学力を伸ばすべきだとか、それは経済的に厳しい家庭の子どもだけに課される不当な競争です。貧困と格差が常態化したこの世の中において、自己責任論はコミュニティー自滅への道を歩むものだということを理解してほしいと思います」 鴻巣氏は子どもがいつでも相談できるよう、「暇そうにすること」を心がけている。「やることがあっても暇そうにするのって難しいんですよ」と笑いながら、最近耳にする機会が増えた「ずるい」という言葉にも警鐘を鳴らす。 「合理的配慮は『ずるい』、借りた奨学金を返さないのは『ずるい』、学校の先生方からも、暇そうなほかの先生が『ずるい』――そんなふうに聞くことがとても増えた気がします。表れているのは、そう感じてしまう本人の余裕のなさ。周りの誰かをずるいと思うのは、そう感じる側のSOSだと言ってもいい。これは大人も子どもも同じことです」