あと一歩で届かなかった2014年ナビスコ杯優勝。代表経験を経て改めて抱いた思い【引退表明のサンフレッチェ広島・青山敏弘を振り返る】
サンフレッチェ広島一筋でチームをけん引してきた青山敏弘が、2024シーズン限りので引退を発表した。2004年に岡山作陽高から加入し、日本代表でもプレーした広島のレジェンドが、初めてキャプテンに就任したのが2014年。ここでは2014年当時のインタビューを再編集してお届けする。(『広島アスリートマガジン』2015年1月号に掲載)(全2回/第2回) 【写真】引退会見にサプライズ登場した森﨑和幸CRMと森﨑浩司アンバサダー ◆ナビスコ杯でチームが一つに ― 2014年7月の大宮戦以来、1カ月半ぶりに9月3日のナビスコ杯浦和戦で戦列に復帰されました。以前よりも増して闘志をむき出しているようなプレーが見受けられました。復帰後は意気込みに変化はあったのでしょうか? 青山 離脱中に外からチームを見ていて、声を出して行動で示していくなど、自分の役割がはっきりと見えてきました。僕が離脱してチームがうまくいっていないなかで、その場に立っていないという悔しさは持っていましたし、そういう歯痒さを爆発させてやろうと思っていました。それはキャプテンとしてというより、一選手としての立場です。また、相手が浦和ということで特別な思いもありましたし、ピッチに立てば自然とそういう力は沸いてきました。 ― 9月以降はチームも立ち直りを見せました。 青山 やはり、『ナビスコ杯を獲る』という目標の影響が大きかったと思います。準々決勝で浦和に勝って自信も持てましたし、勝ち上がったことでチームが一つの方向に向かって行ったと思います。リーグ戦の優勝争いから離されていくなかで、ナビスコ杯に対する思いは自然と大きくなっていきました。ナビスコ杯は日本代表組が抜けたなかで、それを補ってくれる若い選手だったり、普段出ていないポジションで戦ってくれた選手など、みんなの思いが一つになって勝ち上がっていたので、自然といい方向への流れができていったのだと思います。 ― G大阪との対戦となったナビスコ杯決勝戦では、2-0とリードしながらも、残念ながら逆転されて準優勝となってしまいました。 青山 僕たちの力不足には間違いありませんね。前半あれほどいいサッカーをしていい戦いをしながら、後半相手がシステムチェンジをしたときに後手を踏んでいました。自分も対応できなかったという個人的な思いがありましたし、チームとしてもそこからリカバリーができないという幅がないというところも含めて、G大阪の方が強かったということだと思いました。まだまだ力不足だと感じましたし、本当に悔しい戦いでした。 ◆W杯出場で日本代表への想いは強くなった ― 今年は8月20日に広島市で大雨による土砂災害と、悲しい出来事がありました。 青山 『被災された地域の方々に勇気と笑顔を届ける』ということは、いつも思っています。これは森保(一)監督(現日本代表監督)も、選手たちを送り出すときに一番最後に必ず言う言葉でした。そうした意味で選手たちが同じ気持ちを持っていたということは間違いありません。僕たちにできることは、プレーで元気にすること、そしてこれを継続していくことだと思っています。自分たちも支えられていることはありますし、一緒にこれからも戦っていく気持ちです。常に『がんばろう広島』というフレーズ通りの気持ちを持っています。 ― 青山選手自身は2014 FIFA W杯の日本代表メンバーに選出され、スタメン出場という大きな経験をされました。 青山 試合に勝てなかったので、何か変わったのかと言われると、今のところまだわからない部分が多いですね。試合に勝利していれば得るものがあったのかもしれませんが、3試合目のコロンビア戦ではスタメンで出場しましたが、負けてしまいましたからね。何かを変えるきっかけになったということは言えないのかなと思います。もちろん代表での時間は濃いものでしたし、W杯における国を背負って戦うということは、経験したことがない新しい感覚でした。そういう感覚を味わえたということは、僕にとってとても大きなことだったと思います。 ― 結果的にグループリーグでの敗退となりましたが、今改めてどんな印象を持っていますか? 青山 誰しもが経験することではありませんから、そこには感謝の気持ちしかありませんね。だからこそ、勝ちたかったという気持ちが強かったというのはあるかもしれません。 ― 日本代表への思いは変わりましたか? 青山 やっぱりあそこは特別な場所だと思います。口で言うのは難しいことですが、やっぱり常にあの場所にいたいですし、サッカー選手として目標にしなきゃいけないですね。実際にそこで学ぶべきものは多いですし、代表でしか学べないもの、代表として試合に出場して初めて成長できることもあるので、それを常に目標にして今後もやっていきたいと思います。 ― 悔しい経験が多かった2014年は、青山選手にとってどのような1年でしたか? 青山 やっぱり悔しさしかありませんね。感覚としては、漠然と悔しいだけじゃなくて、光が見える悔しさなんじゃないかなと思います。絶対その先に答えがあると思っています。もし、うまくやっていたら喜びに変わっていたと思うし、そこをうまくできなかったという経験は来年に繋がると思うので、僕の感覚からしたら2012年に初優勝したときの前年の2011年の感覚と似たものがありますね。確か2011年は、「絶対来年取り返してやる」ということを実際に言葉を発していました。自分たちはいけるんだという自信を持っています。自分だけじゃなくチームの可能性もあるんと思うので、来年この悔しさは絶対生きてくると思います。 ■青山敏弘(あおやま・としひろ) 1986年2月22日生 岡山県出身。174cm/73kg B型 2014年は佐藤寿人からキャプテンを引き継ぎ、新しいチームリーダーとしてチームをけん引し続けた。エディオンピースウイング広島元年となった2024年、今シーズン限りでの現役引退を発表した。
広島アスリートマガジン編集部