さよなら「ロナルド・レーガン」8年ごしの離日 アメリカ最大級の空母はなぜ“横須賀”へ?【前編】
初の21世紀生まれのアメリカ空母として
長らくアメリカ海軍横須賀基地に前方展開していた原子力空母「ロナルド・レーガン」が2024年5月16日、日本を離れました。 【日米の競演!】日本最大の護衛艦と共同演習を行う空母「ロナルド・レーガン」(写真) 同艦が横須賀を母港として使い始めたのは2015年10月1日からですが、その4年半前に起きた東日本大震災では、救援活動「トモダチ作戦」に参加して日本近海に長期間滞在するなど、横須賀展開の前から日本と深い縁を持っていました。 そもそも「ロナルド・レーガン」は、ニミッツ級航空母艦の9番艦として東海岸にあるニューポート・ニューズ造船所で建造され2001年3月4日に進水し、2003年7月12日に就役しています。 21世紀に入ってから最初に進水・就役したアメリカ空母で、艦名は第40代大統領のロナルド・ウィルソン・レーガンに由来します。なお命名時、彼はまだ存命中で、就役後の2004年6月5日に逝去しています。 そのため、史上初めて存命中の元大統領の名前が付けられたアメリカ空母となったほか、艦内には「強いアメリカ」をスローガンに掲げた同氏の功績や写真などを展示する「レーガン・ルーム」が設けられています。 同艦の建造計画が具体化したのはビル・クリントン政権下の1993年。米ソ冷戦も湾岸戦争も終わり軍縮の時代に入っていたものの、国防総省はアメリカのプレゼンスを維持するために引き続き空母12隻(現役11隻、予備/訓練用1隻)が必要だと結論付けます。 加えてアメリカで唯一、原子力空母の建造が可能なニューポート・ニューズ造船所の技術と雇用を維持するためにも、1995年には建造を始めることが求められました。こうした背景の下、CVN-76の建造予算は1993年度から段階的に承認され、1998年2月12日にはニューポート・ニューズ造船所で起工式を実施。2001年3月4日の命名式で「ロナルド・レーガン」と命名されたのです。
姉妹艦「ニミッツ」とは似て非なるほどの改良が
まもなく就役から21年が経とうとする空母「ロナルド・レーガン」ですが、同型1番艦の「ニミッツ」が就役したのは、ベトナム戦争終結直後の1975年5月のことで、両艦を比べるとその就役年には約30年の開きがあります。そのため、後に誕生する新型空母「ジェラルド・R・フォード」が誕生するまでの、いうなれば過渡期的な艦として、1番艦「ニミッツ」と比較してアイランド(艦橋)や艦首の構造、飛行甲板のレイアウトなど、さまざまな点で変わっています。 たとえば、喫水線下に設けられる球状艦首(バルバスバウ)は「ニミッツ」より大型で、かつより前方に突き出す形に改められました。これにより、船首に浮力を加えることで抵抗を減らし、船体の安定性と海上での操船性、推進性を向上させて、洋上における艦載機の発着艦を安定して行えるようにしています。 右舷に置かれているアイランドはそれまでの同型艦と比べて全長が約6m長くなった一方、デッキは1層減少。アイランドの面積が広くなったことで、3基ある武器エレベーターのうち1基が内部に設置できるようになったほか、窓の大型化が図られるとともに、将来開発される新型機器の搭載を見越したスペースも確保されています。 航空管制所は大幅な設計変更が行われました。航空管制士官(エアボス)席からの視界が広くなったことで飛行甲板上にある機体や乗員の状況を把握しやすくなっています。一方、航海艦橋も、ダイヤルやアナログメーターが使われている従来型の航海計器に代わって、タッチパネルで情報の確認や操作が可能なデジタル式の航海計器を導入しています。