俳優・中村優子、徹底した役作り。初主演映画では素性を隠してストリッパーの巡業に同行「役を生きたいと思っていた」
2001年、初主演映画『火垂』(河瀬直美監督)でストリッパー役を演じるにあたり、俳優であることを伏せながら実在のストリッパーの巡業に同行するなどして、ブエノスアイレス国際映画祭で主演女優賞を受賞した中村優子(なかむら・ゆうこ)さん。 【写真を見る】漫画家に憧れていた中村優子さんが描いたナウシカのイラスト 映画『クヒオ大佐』(吉田大八監督)では、No.1ホステスを演じるにあたって、素性を隠して役名の“未知子”名義で銀座のクラブで働き指名を受けるまでになるほど、徹底した役作りをすることで知られている。 現在、映画『箱男』(石井岳龍監督)が公開中の中村優子さんにインタビュー。
30数年ぶりの勝負でリベンジを果たす
福井県で生まれ育った中村さんは、小さい頃から絵を描くことが大好きで、漫画家になりたいと思ったこともあったという。 「絵といっても模写ですね。『うる星やつら』のラムちゃんとか、『風の谷のナウシカ』のナウシカがとくに好きなキャラクターで。ラムちゃんは、本当にたくさん描いてきたので今でも描けます。漫画家に憧れた時期もありましたが、不思議なもので、娘もまったく同じなんです(笑)」 ――絵が描ける人は羨ましいです。お嬢さんもお母さま譲りで。 「そうなんですかね。私は模写が好きなんですけど、娘は自分のオリジナルの絵を描くのでステキだなと思います。それは、私にはないから羨ましいなと」 ――中村さんのご両親も絵は描いていたのですか? 「いいえ、父は普通の会社勤め。母はずっと専業主婦ですけど、軟式テニスの県の代表監督を30年以上務めました。今でも選手として大会に出るようなスポーツウーマンで。だから普段もジャージ姿しか見たことないという感じだったんです。 なので、母と絵はまったく結びついてなかったんですけど、私が小6くらいで、ナウシカに夢中になっている頃、突然母が『お母さんも描いてみようかな』と言い出して、それがすごくうまかったんですよ。母は初めて描いたはずなのに『負けた!』と。 彼女は精神がアスリートなので(笑)。壁に娘の絵じゃなくて自分の絵を飾っていたんですよ。『私の絵じゃないんか?』みたいな。でも、本当にすばらしく描けていて、私は負けを認めているからこそ、それに対して何か言うことすら自尊心が許さず(笑)、ただただ悔しくて。 それが30数年前のことですが、この間娘にその話をしたら、『じゃあ、今からママとバーコ(おばあちゃん)で対決して』って言い出して。私は30数年前の負け戦があるので、二つ返事でやることになったんです。 母もやっぱり勝負事になると、『ばあちゃん、今ナウシカの絵、どこにやったかわからないから、明日(勝負)しよう』って言って、その間に彼女はナウシカの本をわざわざ買ってくるんですよ(笑)。それで対決して。 自分がアスリート気質だとは思っていませんが、『ここは譲れない!』というところは似ているかもしれませんね」