【HDPで振り返る!】イケオジ感涙! 僕らの青春時代は、あの90年代のストリートファッションから始まった! Vol.2
軽い履き心地からノースウェーブと同じく男女問わず愛されたシューズでもあり、リアム・ギャラガーよろしく手を後ろに組んだり、右の女の子のようにスーパールーズソックスと合わせているのもモロに当時な着こなしではありませんか。 第三次モッズブームでデザートブーツが注目を浴び、オアシスのギャラガー兄弟やザ・ヴァーヴがブリットポップな着こなしのなかでデザートトレックを履き、90年代東京のストリートでも人気を博した1足です。
原宿ファッションの原点はパンク
藤原ヒロシも通った名店として知られるパンクショップ『アストアロボット』然り、岡崎京子の漫画で東京の象徴として描かれたクラブの『ピテカントロプス・エレクトス』然り、80年代から原宿はパンクファッションの震源地でもありました。
そんなパンクファッションの足元と言えば、左のカップルのようにドクターマーチンブーツか、真ん中の子のようにジョージコックスのラバーソールが定番ですが、さすがのパンクキッズも「気になるけど履くのは勇気がいる……」と躊躇していたのが、右端の男の子が履いている『ヴィヴィアン・ウエストウッド』のロッキンホース。 ロッキンホースは矢沢あい原作の『NANA』でも登場人物が履いていたことでお馴染みな1足。80年代後半から90年代は『ヴィヴィアン・ウエストウッド』の成熟期にして、パンクファッションからヴィクトリアン朝のスタイルを取り入れていく時期でもありました。
HFが導いたアメカジとストリートの交差点は、黒のレッドウィング
スニーカーやシューズだけでなく、90年代はブーツにも勢いがありました。特にレッドウィングは爆発的な人気を博し、様々な量販ブランドがアイリッシュセッター風のブーツを作るほどの人気ぶりを誇りました。
なかでも白眉と言えるのが、この黒のアイリッシュセッターです。当時は黒アッパーに黒ソールしか無かったところ、藤原ヒロシ御大が白ソールにカスタムして『MEN'S NON-NO』誌に登場したところ、問い合わせが殺到。後に製品化されることになったモデルです。 それまでレッドウィングはアメカジ&渋カジの定番ではあったものの、裏原系との相性はイマイチ。そこに藤原ヒロシが黒アッパー&白ソールというスニーカーライクに履けるカスタムを披露したことで、一気にストリートのなかでアイリッシュセッターが咀嚼されたのです。