『まんぷく』萬平のモデル・百福が結婚時にして生涯守り通した「三つの約束」とは…戦争で事業は灰になるも<ひらめき>は止まらず
2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「戦火避け疎開 ~混乱の時代を生きのびる」です。 【写真】仁子、泉大津にて * * * * * * * ◆三つの約束 仁子は結婚する時、母須磨を一人置いていくわけにいきませんでした。ほかに世話をしてくれる余裕のある親戚がなかったのです。また仁子は「もう母には絶対に食べ物の苦労をさせない」と心に誓っていました。結局、須磨は仁子の思いどおり、百福との家庭に同居することになりました。 一方、百福には先妻の子がいました。男の子で名前は宏寿(ひろとし)と言います。 「わたしは母を、主人は息子を、それぞれ引き取る。お互いに心にブレーキがあり良いとの事」(仁子の残した手帳) 新婚なのに、家は四人家族になりました。 百福は仁子に三つの約束をしました。 一つ、私が仕事をする。 二つ、家庭は任せる。 三つ、食べるものには苦労させない。 そして、紆余曲折はあったものの、生涯、この約束を守り通しました。
◆疎開地へ 新居は大阪郊外の静かな住宅地、吹田市千里山です。ところが、日に日に空襲が激しくなり、静かなはずの千里山にまでB29爆撃機が飛来するようになりました。いよいよ危険が迫ってきました。百福、仁子、須磨の三人は知り合いを頼って、兵庫県上郡に疎開することにしたのです。長男の宏寿は、別の知人に預けられ、安全な疎開地に移っていきました。 上郡は岡山県境に近い山間の町で、千種川(ちくさがわ)の清流が山を下り、うねりながら播磨灘にそそぐという、自然の豊かな町でした。 百福は、片時もじっとしていません。炭を焼くかと思うと、簡易住宅を建てる仕事に奔走しました。事務所や工場が気になって、たびたび大阪にも出かけました。食糧難の時代でしたが、百福はどこからか食べ物を持ち帰って、家族に食べさせました。仁子と大阪へ汽車で向かう時には、缶に入れた一羽の蒸し鶏を弁当代わりにして、二人でちぎって食べました。 ある時、お世話になった井上元中将を招待することにしました。牛肉五キロと、たまたま近所でとれたシカの肉が手に入りました。これをすき焼きにしてふるまいました。戦時中ですから、大変なご馳走です。井上は食べ過ぎて腹を壊しました。夜通し布団の上で七転八倒する苦しみようでした。お礼のつもりが、とんだ災難をもたらすことになってしまったのです。 百福は川の魚を捕るためにいろいろ知恵を絞りました。 仁子の姪の冨巨代は、大阪から買い出しに行く時に、母の澪子について上郡に行き、そのまま置いて行かれることがありました。「食いぶちを減らすため」だったそうです。滞在中に、百福が川の魚を捕る様子を何度も見ています。 千種川の支流で幅三メートルほどの川が流れていました。いかにも魚が棲んでいそうな渓流です。 日本には昔から、魚を捕るための「もんどり」という仕掛けがあります。穴の開いた透明なガラス球にエサを入れて川に沈め、魚をおびき寄せます。いったん中に入った魚は、もう外に出られない仕掛けになっています。百福は大阪のエンジン工場で、自分でもんどりを作り上郡に持ち込みました。エサには米ぬかを使いました。川に沈めて川面から覗いていると、せっかく入ってきた魚がすぐに出ていくのです。どうやら穴が大き過ぎたようです。
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