「8・6水害」風化させない…31年前、49人の死者・行方不明者を出した記録的大雨 氾濫した川沿いに竹灯籠並べ被害語り継ぐ 鹿児島市
鹿児島市周辺の記録的な大雨で死者・行方不明者49人を出した1993年の8・6水害から31年を迎えた6日夜、同市小野1丁目の甲突川河畔に近くの子どもたちが作った竹灯籠が並んだ。被害を語り継ぎ風化を防ごうと、下伊敷栄門町内会が3年前に始めた。 【写真】〈別カット〉近所の子どもたちが作った竹灯籠=6日午後7時45分、鹿児島市小野1丁目
同町内会では犠牲者は出なかったが、甲突川の氾濫で住民のほとんどが被災した。 竹灯籠は「子どもはもちろん、親も8・6水害を知らない人が増えた。何かやらなければ風化してしまう」と元高校教諭の冨永勝弘会長(70)=同市下伊敷1丁目=が企画。今年は7月30日、近くの玉江小学校の児童10人や鹿児島工業高校の生徒も参加して10個を作った。会場には被災時の写真を並べ、水害について考えられるようにした。 冨永さんの実家は当時、甲突川と国道3号に挟まれた地域で家具店を営んでいた。「水が店のシャッターを突き破り、家具が流れ出していくのを2階から見ているしかなかった。国道では車が立ち往生し、流されていった。平屋の人は屋根の上に避難していた」と振り返る。 町内会やあいご会の会員らは6日夜、安全を願って地域をパトロールし、竹灯籠の前で水害の犠牲者へ黙とうをささげた。灯籠を作った玉江小5年の本門永希さんは「川沿いに住んでいるので水害の話は聞いていた。でも実際に起きたらと思うと怖い」。
当時小学生だったあいご会長の上原裕美さん(40)は「母に連れられ友人宅に避難した経験を息子に話して継承している」と話した。
南日本新聞 | 鹿児島
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