現役看護師の僧侶が考える「死の意味」「別れの時間のあり方」
以下、看護師/僧侶として終末期医療に携わってきた玉置妙憂氏の著書『死にゆく人の身体と心に起こること』 (宝島社新書) からの抜粋である。 まず書かれるのはある未亡人についてだ。肺がんで余命数カ月を宣告された夫。医師に新薬を勧められ投与をトライするも、その副作用で夫は亡くなる。もしかすると寿命よりも早く訪れたかもしれない、彼女の夫の死の意味とは――。 ■人間の死には必ず意味がある 現在、奥様とどんな方向でお話をしているかというと、この新薬について言えば、誰かが副作用にあって、それを周囲や後世に伝えなければいけなかったわけです。その役割を、人類のうちの誰かが引き受けなくてはいけなかった。ご主人はまさにその役を引き受けたのだね、と話し合っています。奥様が言うには、亡くなったご主人は大変責任感が強く、社会に対してさまざまに意見を発信する人だったそうです。だからこそ、自分の身体を使って、この薬にはこういう副作用があるぞ、ということを残された。そうやって、奥様はご主人の死を受け入れようとしています。 実際、人の死は意味があるのです。医療の進歩は死屍累々たる犠牲の歴史の上に成り立っています。そうした方の死がなければ、医療の進歩と発展はありえません。ですから、このご主人の死も決して無駄ではない。必ず何かの貢献になっているのです。 最後の頃には、ご主人は意識がなくなり、硬直した表情で、口も半開きになったまま横たわっていました。死にゆく人のなかで元気なときのふっくらした顔のままで逝く場合は、あまりありません。だんだんと衰えて、肌の色も悪くなり、死相が出て死に近づいていく。 家族はその姿をずっと見ています。ですから、奥様は、「この人はとてもおしゃべりで明るい人でした。でも最後はこの固まった表情を見ていましたから、この顔で彼の思い出が固まっちゃいそうで心配です」とおっしゃいました。けれども、いざ、亡くなった後に思い出すのは、常に明るい笑顔のご主人でした。 先日奥様とお会いしたときも、「私、今思い出すのは元気なときの彼です。夢に出てくるのも元気な感じだから、たぶん大丈夫だと思う」と静かにほほえんでおっしゃっていました。