「批判だけでなく、その先へ」被爆地の記憶と向き合った芥川賞作家で被爆2世・青来有一さんの思い 元長崎原爆資料館長が考える核問題【思いをつなぐ戦後78年】
原爆や潜伏キリシタンなど、長崎の「土地の記憶」をテーマに執筆を続ける芥川賞作家で被爆2世の青来有一さん(64)。長崎市職員時代に長崎原爆資料館長を8年余り務め、継承の現場で、被爆地の記憶と向き合ってきた。被爆78年を迎えた5月の先進7カ国(G7)では、共同文書「広島ビジョン」で核抑止論を肯定した。ロシアのウクライナ侵攻で、核使用の懸念も高まる中で、私たちは核問題とどう向き合うべきか。青来さんに尋ねた。(共同通信=調星太) ▽当事者でないと「書くのは困難」 1960年代に爆心地のある浦上に住み始めたが、原爆の爪痕もほとんど残っておらず、今と変わらない町並みだった。ただ、被爆当時を知る人は今よりずっと多かった。浦上川を指して「ここでたくさんの人が死んだんだよ」と語る人もいて、遠い昔の話ではない、土地の生々しい記憶として感じられた。 長崎市役所に就職した83年頃に小説を書き始めた。被爆2世で周りに被爆者も多かったが、当時を経験していない自分が原爆のことを書いたら、「そんなもんじゃなかった」と思われるかもしれない。中途半端には書けないとも思った。かえって原爆をテーマにするのは難しいと感じていた。
▽さまざまな方法で語り関心をかき立てる 結局、たどり着いたのは「土地の記憶」として書くこと。長崎は歴史的な事件が多く、土地にまつわる話が多く伝えられている。原爆に関しても、そうした伝承の一つと捉え、95年のデビュー作「ジェロニモの十字架」では、潜伏キリシタンの殉教などと結びつけて自由に物語を書いた。 その後も、当事者ではない「偽の語り部」としての不安はあったが、被爆者で作家の故林京子さんに「自由に書いていいのですよ」と言われたことで、そのこだわりは消えた。当事者ではなくとも、さまざまな方法で長崎を語り、読者の関心をかき立てることが、記憶の継承につながるのではないかと考えるようになった。 ▽理想と現実に引き裂かれた矛盾と困難 長崎原爆資料館長だった2018年に発表した「フェイクコメディ」は、トランプ米大統領(当時)がこっそり資料館を訪問する奇想天外なフィクションだ。大統領は悲惨な展示に涙しながらも、核兵器がどれほど重要か分かったと語る。原爆の惨状を知ったら誰もが被爆者の苦しみに共感し、許されない残虐な兵器だと考えるが、一方で自国民を守るために核兵器に頼ろうとする。そこに理想と現実に引き裂かれた現在の矛盾と困難がある。