「金魚すくい」はスポーツだ!伝来300年の大和郡山、世代を超えて白熱 道場の門下生は400人、街に根付く金魚の文化
道場ではスーパーボールを水に浮かばせて練習するという。ポイントはボールの下にポイを差し込んだら、手前に引き枠に乗せることだ。 もう一度試すと、ようやく一匹。最初よりはるかにすくいやすい。しかし、コツを知ったからすくえる訳ではない。手が思うように動かず、下村さんのように金魚に吸い付くようにポイを動かすことができない。上手な人は、3分間で20匹から30匹すくうという。あとは練習あるのみだと下村さんは笑う。 簡単に見える金魚すくいは、想像よりはるかに難しい。しかし競技としての面白さがある。「生き物を扱うから難しいかもしれないが、いつかオリンピックに追加されたらおもしろい」と語る下村さん。「スポーツなので、練習しているときはできても大会本番になると緊張感がでて、手が震えることもある」 ▽伝来300年の歴史をもつ金魚の町 金魚の起源は今から約2千年前にさかのぼるという。中国南部で野生のフナの中から赤い魚が発見されたことに由来する。大和郡山市へは、1724年、甲府藩の藩主だった柳澤吉里が大和郡山へ国替えで移住した際に家臣が持ち込んだと伝わる。幕末には藩士の、明治維新後は農家の副業として養殖が栄えたという。 市の農業水産課によると、最大148戸あった生産者は2018年時点で36戸のみ。生産者の高齢化や少子化で担い手が減っている。
しかし、意外なことに金魚の存在感が低下しているわけではないという。農業・金魚係長の井原茂樹さんは「金魚文化自体は衰退していない。むしろ市民のアイデンティティーとして根付いている」と語る。もちろん井原さんも金魚を飼っている。 ▽街のあちこちに金魚のイラスト 「金魚の飛び出し注意」。市の中心部、近鉄郡山駅付近の商店街を歩くと、車に最徐行を呼びかける看板に、こんな注意書きが描かれていた。電柱、郵便ポスト、道案内板…。周りを見渡すと、あちこちに金魚のイラストやキャラクターの像があるのに気付く。大和郡山ならではの光景だ。 長年、養殖業者や市が一体となり金魚を発信してきたことで、文化として金魚が根付いている。小学校には金魚すくいクラブがあり、商店街は「金魚ストリート」を名乗る。金魚の歴史や飼い方など熟知する専門家を育てる「金魚マイスター養成塾」と呼ばれる制度もある。約10年続いており、2023年度までに171人のマイスターが生まれた。