【44年ぶり戒厳令の激震】韓国軍が市民に銃口を向けた「光州事件」描いたノーベル文学賞・韓江氏と“尹錫悦大統領の暴走”との因縁
突然、非常戒厳令を発して韓国国内だけでなく世界中に衝撃を与えた尹錫悦大統領(63)。韓国の世論は、尹大統領の行動を“民主主義を否定する暴挙”と位置づけ、厳しく批判している。そうした世論の背景のひとつには、戒厳令の前から韓国国民の間で注目されていた小説家の存在がある。ソウルを拠点に活動するジャーナリストの申光秀氏がリポートする。 【写真】アジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した小説家・韓江氏。美人妻として話題の大統領夫人の自撮りインスタも
* * * 韓国を代表する小説家、韓江(ハン・ガン)氏(54)が今年10月、アジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞して以来、韓国では空前の読書ブームが続いている。 ソウル市内の書店では軒並み特設コーナーが設けられ、ベストセラーランキングでは韓江氏の過去の作品が軒並み上位を独占。世界的な「本離れ」現象は韓国も例外ではないが、金大中元大統領(2000年、平和賞)以来となる韓国人のノーベル賞受賞によって、国内の出版業界は特需に沸いた。 韓江氏への注目をさらに高めることになったのが、12月3日に勃発した尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による非常戒厳令の宣布である。 韓国において戒厳令が発動されたのは1980年以来、44年ぶりのことである。1979年の朴正煕大統領暗殺事件(10・26事件)に端を発した政治的混乱が続くなか、軍を掌握していた全斗煥(後に大統領就任)が1980年5月に非常戒厳令を発令。これが同年の「光州事件」につながった。 民主化を求める学生や市民と軍が衝突した光州事件は、160名以上の死者を出す惨事に発展し、韓国近代史におけるもっとも重大な事件のひとつとして認識されている。
光州に生まれ、韓国を代表するエリート校として知られる延世大学を卒業した韓江氏は、小説家の父(韓勝源)を持つ「二世作家」である。これまで、政府による民衆弾圧事件として知られる「済州事件」(1948年)や「光州事件」(1980年)を描いてきた。 韓江氏自身は10月10日の受賞決定以来、殺到するメディアの取材をほとんど受けず、正式な記者会見をしていなかった。その理由について、韓江氏は「世界各地で戦争、紛争が繰り広げられているなか、純粋に受賞を喜ぶ気持ちにはなれない」と語っていた。 彼女の正式なコメントが発表されたのは今回の戒厳令から3日後、12月6日のことである。ノルウェー・ストックホルムでのノーベル賞授賞式(12月10日)を控えた韓江氏は、「1980年当時の戒厳令の状況を研究するために多くの時間を費やした。2024年に同じような状況が目の前で、リアルタイムで展開されるのを目の当たりにし、驚いた」と語った。 韓国国内でもっとも人気の高い韓江氏の作品は『少年が来る』だ。光州事件に巻き込まれた市民が主人公で、国家による暴力が描かれる。この作品には、彼女が作家を志した「原点」がある。 「私が13歳のときに見た写真が、人間に対する根源的な問いかけを自らにするきっかかけになった」 韓江氏はそう語っている。父から見せられたその「写真」とは、1980年の光州事件の惨状だった。遺体が投げ出された道で、負傷者のための献血に並ぶ人々の姿──あれから44年の時を経たいま、表現者としての韓江氏の「問いかけ」はいま、世界に伝わろうとしている。 ◆申光秀(ジャーナリスト ソウル外信記者クラブ)