ドイツ語の変種「キーツドイツ語」から見えてくる、日本の現在地
◇言語のありように意識を研ぎ澄ますことが、その国の現状を知るうえでも大切 そもそもキーツドイツ語は仲間内の言語であり、これを話す人のほとんどは標準ドイツ語、あるいは共通ドイツ語もできる、というのが大事な点です。すなわちキーツドイツ語の使用者は、相手やTPOに応じて言語を使い分けられる、ドイツ語のバイリンガルというわけです。 日本語でも短縮語、縮約語は数多く存在します。短く言った方が、友人などとの会話がテンポよくサクサク進むといった効果もあります。それらはダジャレとは別次元の言葉遊びでもあり、グループアイデンティティを形成する側面もあるでしょう。かっこよくてキャッチーな言葉を楽しみつつ、仲間内で通じる共通言語として関係性を強める役割も果たします。 SNSで“バズった”フレーズなど、誰かが使いだした言葉を真似てみることは日本でもよくあります。若者言葉だけでなく、「なるはやで」や「ASAPで」などといった、もっぱらオフィスで用いられる、あるいはそこを離れてもオフィスの仲間内で通用する、一種のグループ語も存在します。総じて結束を強める要素にもなり、機能的にはキーツドイツ語の使用者が狙っているところと近いかもしれません。 日本語を見てもわかるように、歴史的にも言語の文法形式は徐々に単純化に向かっているようです。これらは言語の“進化”とは言わないまでも、自然な歴史的“変容”であると私自身も受け止めています。「あおによし奈良の都の…」という表現は知っていても、今日では古文の授業以外では使わないでしょう。また、「的を射る」を「的を得る」だと思っている人が、若い世代を中心に増えています。やがて後者がマジョリティになったとき、前者がむしろ誤用だとされるときが来るかもしれません。 言葉は世界を映し出す鏡です。言い替えると、言葉は世界を分節するものでもあります。その分け方が言語によって違うので、言葉が世界をどう切り分けているのかに触れることで、日本語の世界が相対化され、絶対的でないことが見えてきます。変化を含めた言語のありようについての意識を研ぎ澄ますことが、その国や地域の現状を知るうえでも大切なのではないでしょうか。
渡辺 学(明治大学 文学部 教授)