《特別寄稿》ブラジルに根付いた小野田精神 (上) フィリピンの潜伏洞窟を訪ねて サンパウロ市 榎原良一
「いざ、フィリピンへ」
「訪日するなら、ついでにフィリピンまで足を伸ばせし、一緒に小野田洞窟を訪ねるじゃんけ!」――昨年10月にフィリピンの孤島に住んでいる友人から、甲州弁でこんな興味深いお誘いがありました。訪日する旨を連絡すると、いつも彼からフィリピン訪問の誘いがある。 そして、都合が付く場合には、彼からの誘いに甘えて、楽しいフィリピン二人旅を満喫するのがパターン化している。おまけに、東京で1週間ホテル住まいするよりも、格安の両国間往復チケットを見つければ、フィリピン旅行費用は安上がり。 なんせ、フィリピン田舎の食事代は一食数百円の世界、そして、ほんの数日でも幸福と貧困が同居する世界に滞在すると、反対に現代社会の本質も見えてくる。一挙両得とは、こういうことを言うのだろう。
さて、昨年の訪日は11月9日に日本に着き、数日用事を済ませたり買い物をして、11月12日の夜行便で成田空港を出発しマニラに向かう。マニラ着は夜中なので、当日は、いつものホテルで仮眠を取ることにした。 難儀なのは、空港からホテルへの移動。客が日本人とみると料金を吹っ掛ける空港で観光客を待ち構えるタクシーはやめにして、割安のトライシクル(バイクにサイドカーを取り付けた乗り物)と徒歩で何とかマニラにあるホテルにたどり着く。車と人々が雑踏するマニラでは、いつ行っても緊張が走る。 都会の貧困と田舎の貧困の違いを身をもって感じざるを得ない。現地の事情を熟知している友人がいるからで、マニラ繁華街の喧騒の中を私一人で歩く勇気は無い。
「いざ、ナスグブへ」
翌日の早朝にマニラを出発して、小野田洞窟のあるルバング島行きフェリーの出発港ナスグブ(バタンナス州)迄、約2時間かけてバスで移動する。ナスグブ市は、バタンガス州西部の地方都市。スペイン占領期には、貿易のための港湾都市として栄える。 ホテルのチェックインを済ませて、友人と漁港周辺を散歩する。このような幸福と貧困が同居する漁村で、海岸で楽しそうにはしゃいでいる子供達をみていると、日米和親条約により日本に赴任した初代米国総領事タウンゼント・ハリスの滞在記を思い出す。 「彼らは良く肥え、身なりも良く、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない―これが恐らく人民の本当の姿というものだろう。わたしは時として、日本を開国して外国の影響をうけさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるか、疑わしくなる。わたしは、質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」(タウゼント・ハリス) 彼以外にもこの時代に日本を訪れた西欧人の日記・旅行記の描写からは、西洋とまったく異質な日本と日本人に対する好奇の眼があったことがうかがえる。