《特別寄稿》ブラジルに根付いた小野田精神 (上) フィリピンの潜伏洞窟を訪ねて サンパウロ市 榎原良一
明白なのは、私には数日でも耐えきれないだろうこと。彼の並外れた不屈の精神、忠誠心、そして規範遵守の精神が成し得たのであろう。戦後30年経ち、彼が投降して日本に戻った時には、彼の30年間の洞窟生活に対して、賛否両論があったことを記憶している。 人間の価値観や社会通念は、時代時代で変化するもの。今の社会通念を持って、今の平和な社会に暮らして、彼の30年間に及ぶ潜伏生活を否定したり非難する。現在の情報化社会に慣れっこになってしまった私達は、過去の価値観や社会通念に照らし合わせて、歴史を読み解く作業が苦手になってしまったのか? 「後出しじゃんけん」という卑怯な手段は止めた方が良いと思う。そして、理屈を持って考えなくても、単純に祖国日本のために働いた彼をどうして非難するのか? 何故、彼の辛苦に対して日本国民は、素直に評価して報いる気持ちが芽生えないのか? 小野田さんは1974年3月に投降後、翌年の75年には彼の次兄(小野田格郎:東京帝国大学及び陸軍経理学校卒の経理将校、最終階級陸軍主計大尉)が住むブラジルへの永住を決意する。この決断や行動にも、日本では様々な評価や憶測が飛び交った。
「戦前と大きく価値観が変貌した日本社会には馴染めなかった」との否定的な評価が一般的だった。この否定的な評価を国民に植え付けたのは、戦前や戦時中にさんざん戦争を美化し続けて、戦争が終われば戦勝国に跪く(ひざまずく)某国の大手マスコミに他ならない。 「戦前と大きく価値観を変貌させた張本人はおまえ達だろう!」と日本語で叫びたい。小野田少尉と由縁のある福岡県久留米市の陸上自衛隊幹部候補生学校には、彼が実際に身につけていた軍刀等の装備品や彼の言葉が展示されている。 一方、彼がルバング島で身につけた実戦経験(遊撃戦、ゲリラ戦)や生存術は、日本では評価されず活用もされることなく消え去ってしまった。生き字引(敵地で30年間生き抜いた彼の経験)は、百の教本よりも優れていると思うのだが、実に勿体無い。長い間平和が続く社会では、こんなにも危機管理意識が希薄になってしまうのか。平和、平和と唱えていれば、本当に平和な社会が訪れると信じているのか。(後編に続く、サンパウロ市 榎原良一)