《特別寄稿》ブラジルに根付いた小野田精神 (上) フィリピンの潜伏洞窟を訪ねて サンパウロ市 榎原良一
しかし、その一方では、日本の自然の美しさや貧しくも清潔で心豊かな人々の生活や文化、日本人の精神性などに対する彼らの驚きや敬意も強く感じ取れる。過去の歴史を遮断され戦後教育を受けた日本人には、彼ら日本人以外の日本観や日本人観を学ぶことにより、日本人としての誇りを取り戻してくれることを願わずにはいられない。 待ちに待ったルバング島を訪れる日がやって来た。フェリーの出発時間は午前10時と比較的自由時間が出来たので、朝食を兼ねてホテルの周辺を散策する。どうもフィリピンでは、朝食は住宅ではなく近所の道端屋台で食べるのが一般的らしい。 どの屋台も同じような料理が置いてあり、店が繁盛するかどうかは味と女将の愛嬌が決め手になるのだろう。美味しそうな屋台を物色していると、片言の日本語で語りかけてくる女将がいた。 英語や現地語(タガログ語)を話せない私に取っては、現地の人達と会話が出来る唯一の機会となる。そして、日本語を話す女将は、若い頃はチャーミングだったろうと想像出来る中年の女性がほとんど。 もう、読者の皆さんはお分かりでしょう。彼女達のほとんどは、若かりし頃に日本の観光地やスナック等で働いた経験がある人ばかり。様々な事情で日本から母国に戻り、蓄えたお金を資金に屋台経営を始めた経緯等を、日本の元旦那さんや元パートナーの写真を自慢そうに見せながら、日本滞在中の身の上話を悲壮感もなく話してくれる。日本の民放テレビに出演して日本の政治を批判する外国人評論家よりも、彼女達の方が数倍も好感が持てる。
「いざ、ルバング島へ」
ルバング島行きフェリーは、出発時刻10時からだいぶ遅れてナスグブ港を出発した。ルバング島までの所要時間が2時間30分、友人はルバング島に到着後、無事に小野田洞窟を訪ねて夕方暗くならない内に滞在先ホテルに戻れるかを心配している。時間的に余裕の無い旅程の上に、時間にいい加減な公共交通機関では、当然の心配事となる。 とにかく、出発したその日に何とかルバング島テリック港に到着することができた。到着後港近くのホテルに荷物を置き、連絡してあった政府公認ガイドに連絡を入れる。ガイドとの打ち合わせを済ませて、トライシクロに乗り「いざ、小野田洞窟に出発!」。 途中、ガイドの自宅に寄り手続きを済ませ、ヘルメットを受け取り、約20分後にONODA TRAIL出発地に到着した。そこからは受け取った手製の杖を使い、歩いて四つの洞窟を訪ねる予定だったが、全てを廻ると日が沈む時間までには出発口に戻れないとのガイドさんの説明。 仕方なく、潜伏期間が長かった他よりも大きめな洞窟のみを訪ねることになり、しばしガイドさんの説明を受けながら、地面に寝て粗食に耐えながら敵の襲撃に備える約30年間の暮らしを自分なりに想像してみる。