『光る君へ』“傾国の中宮”から一条天皇を引き離せるか?娘を「いけにえ」として入内させた藤原道長の覚悟
■ 念願だった一条天皇の第1皇子が誕生したが… これには、道長としても危機感を持たざるを得ない。道長は定子に対抗すべく、長女・彰子を入内させることを決意。ドラマでは、こんな策略まで思いついている。 「分かった……中宮様が子をお産みになる月に、彰子の入内をぶつけよう」 長保元(999)年11月1日、道長はわずか11歳の娘である彰子を一条天皇に入内させたが、番組のラストでは、彰子の「裳着(もぎ)の儀」が大々的に行われることとなった。貴族の女性が成人した証に初めて裳をつける儀式のことである。 この後、史実では、入内から6日後の11月7日、彰子に女御宣旨が下される。そして、くしくもその日に、一条天皇と定子との間に第2子となる男の子が生まれることとなった。 藤原行成が記した日記『権記』では、一条天皇の喜ぶ様が描写されているが、道長の『御堂関白日記』では、全く触れられていない。藤原実資の『小右記』にも、簡単な記載があるのみで、一条天皇の第1皇子となる敦康(あつやす)親王の誕生は歓迎されなかったようだ。 とにもかくにも、これで念願だった一条天皇の第1皇子が生まれたことになる。宮中の冷たい視線の中、定子をなお愛おしむ一条天皇の姿がドラマでは描かれそうだ。 だが、間もなくして一条天皇に大きな悲しみが襲う。そのとき、まだ幼い彰子は一条天皇をどう支えるのだろうか。また、今回の放送では、道長が彰子のことを「いけにえ」と称したが、彰子と父・道長の親子関係も今後、緊迫した展開になってくるだろう。
■ 『源氏物語』にも描かれた「正妻が灰を投げつける」シーン もしかしたら、彰子の「裳着の儀」を見て、第2回放送「めぐりあい」の冒頭シーンを思い出した視聴者もいたかもしれない。15歳になったまひろが十二単衣を着た姿で現れて、開口一番こう言った。 「重い……」 第1回放送では、幼少期のまひろが登場したため、第2回のこのセリフが、主演の吉高由里子が発した最初のセリフとなる。彰子の「裳着の儀」と比べると、ずいぶんとこぢんまりしたもので、同じ儀式でも身分や状況によって変わってくるようだ。 彰子の「裳着の儀」では藤原詮子が、まひろの「裳着の儀」では藤原宣孝(のぶたか)が、腰の紐をぎゅっと結ぶ「腰結」(こしゆい)を行っている。 「腰結」は、徳が高くて周囲から尊敬されている者が、その役を担う。第2回放送では、宣孝が「よい婿をもらって、この家を盛り立ててもらわねばのう」とまひろの父・為時(ためとき)に軽口を叩いているが、まさか自分が夫になるとは、想像もしていなかったことだろう。 宣孝とまひろは付き合いも長く、お互いの性格もよく分かっていたはずだが、それでも結婚生活となると、すれ違いも起きる。前回の記事(「『光る君へ』筆マメな藤原宣孝の猛アプローチで夫婦になるも、紫式部が新婚早々に大激怒したワケ」)で書いた通り、激しい夫婦げんかが今回の放送で行われたが、ドラマならではの展開もあった。 宣孝が「ワシが悪かった」と謝罪し、これで仲直りするかと思いきや、「せっかく久しぶりに来たのだ。もっと甘えてこぬか」という宣孝に、まひろは「私は殿に甘えたことはございません」と反発する。 宣孝もムッとして「お前のそういうかわいげのないところに、左大臣様も嫌気がさしたのではないか。分かるなあ」と余計なことを言ったため、まひろは激高。宣孝の顔に香炉の灰をぶちまけている。 実は、紫式部が著した『源氏物語』の第31帖「真木柱」では、髭黒の大将が新しく妻にした女性のところに行こうとしたところ、最初の正妻である北の方に灰を投げつけられて、ますます心が離れていく、というシーンがある。 まひろのさまざまな人生経験が、どのように物語に昇華されていくのか──。それもまた、今後の見どころの一つとなりそうだ。 【参考文献】 『新潮日本古典集成〈新装版〉紫式部日記 紫式部集』(山本利達校注、新潮社) 『現代語訳 小右記』(倉本一宏編、吉川弘文館) 『紫式部』(今井源衛著、吉川弘文館) 『紫式部と藤原道長』(倉本一宏著、講談社現代新書) 『敗者たちの平安王朝』(倉本一宏著、KADOKAWA) 『藤原伊周・隆家』(倉本一宏著、ミネルヴァ書房) 『偉人名言迷言事典』(真山知幸著、笠間書院)
真山 知幸