王墓は、なぜ大型化したり縮小したりするのか
「王墓はなぜ築かれたのか」 エジプトのファラオが築いたピラミッド、中国の皇帝たちが造った山陵など、人類史には王の埋葬のためのモニュメントが数多くある。 【画像】王墓は、なぜ大型化したり縮小したりするのか それらは、王が自らの権力を誇示するために築造したと考えられてきた。 したがって「王墓の大きさは権力の大きさに比例する」「王墓は王の権力の象徴にほかならない」という理解が常識とされており、教科書にもそう書かれている。しかし、それは本当なのか? この定説に真っ向から反論した話題の書『王墓の謎』から、王墓が築かれた真の目的をさぐる! *本記事は河野一隆『王墓の謎』から抜粋・再編集したものです。
王墓造りは祭礼のようなもの?
以上の考察を踏まえると、王のための造墓活動は、神に捧げる労働奉仕の意味合いを持つことになる。王墓は王個人のためのものではなく、神へ捧げるための記念建造物だという理解である。 だとすれば、社会が何世紀にもわたって王墓を競い合うように築造し続けた理由も、ある程度推測がつく。すでに読者の中にもお気づきの方がいるだろう。そう、王墓の築造とは祭礼のような一種の無形文化遺産だったという仮説を、ここで私は提唱したい。 私の故郷、福岡県の博多では、初夏の風物詩である博多祇園山笠という祭礼が、少なくとも750年以上続いている。その起源は、鎌倉時代に博多に蔓延した疫病を退散させるため、承天寺開祖の聖一国師円爾が施餓鬼棚に棒を付けたものに乗り、祈祷水を散布したことだという。2020年からの新型コロナ感染拡大防止のため、3年間は祭礼の延期や規模縮小を余儀なくされたが、2023年に制限の無い形で再開した。博多の人々は、これでようやく元通りに開催できると喜び、例年以上に張りきったと聞く。 日本各地には古くから続く祭礼が数多く知られている。不幸なことにケガ人や死者が出たとしても、危険だから止めてしまえという声が大きくなったとはあまり聞かない。中断することで予想される不利益と、続けることで見込まれるリスクを斟酌した結果なのだろうと推測する。もし、奉納先が神ではなく特定の個人だったら、そうはならなかったに違いない。 ここで祭礼のたとえを持ち出した理由はもう一つある。それは、人々が競い合うことで、社会の要請に応じて内容が変化したとしても祭礼は継続されてきたことだ。 たとえば山笠を例にとれば、はじめは施餓鬼棚に棒を付けた簡素なものだったが、博多町衆の競争心を刺激しながら、より速く、より高く、より美しく進化した。それは、誰に命令されたからでもないだろう。神への奉納という究極の目的を成就するため、試行錯誤を繰り返しながら現在の形になったのだ。王墓の場合もこれと同じことが言えないだろうか。