T-BOLAN上野博文、くも膜下出血で3カ月意識不明から、ステージ復帰の奇跡
意識は回復するも高次脳機能障害を抱えて
こうした周囲の後押しもあってか、上野は奇跡的に意識を回復するが、「最初に意識したのは、自分がベッドの上でミニギターに触れていることでした。その後に『ここは病院だ』と。自分がくも膜下出血で倒れたということを理解するのにも、時間が掛かりましたね」と振り返る。 とはいえ、上野の苦難の道は続く。 くも膜下出血の影響で体の自由や会話もままならず、記憶能力にも影響を及ぼす高次脳機能障害を抱えることになり、長いリハビリの日々を送ることになる。 緊急搬送されてから約4カ月後、治療のための病院を出ると、そのまま別の病院のリハビリ科に移り、約半年間入院しながらリハビリに励んだ。 「入院していたはじめの頃は、うなずいたり意思表示は何とかできるものの、会話も上手くできないし、体を動かすのもつらかったですね。そこからストレッチを中心にリハビリを続けて、自分の口から食事ができるようになり、歩けるようになったことで退院しました」 さらに退院後も、2年間リハビリ施設に通うことになるが、その際に上野が掲げたのが2つの大きな目標だ。 まず1つが『自分で身の回りの事をできるようにすること』だそうで、「リハビリを続けたことで少しずつですが会話もできるようになり、今では料理や洗濯も自分でできるようになりました。ただ料理に関しては、病気になってから味覚がちょっと変わって、自分の好きな味を出すのに苦労しています。以前はタバコも吸っていたのですが一切、体が受け付けなくなって、かえって健康になったのかも(笑)」と冗談混じりに話す。
リハビリ生活の中であきらめなかったもう1つの目標
そしてもう1つが、『再びライブのステージに立ってベースを弾くこと』だった。 キッカケは、自身の退院を祝うために行われた他のメンバーとの食事会の席でのことだった。 当時、「T-BOLAN」は活動休止中だったが、そこで集まった仲間たちから「本当に奇跡だぜ。神様から2つ目の命をもらったようなものなんだから、ここからの人生、本当にやりたいことに時間を使おうよ」と励まされた上野が、会話もおぼつかない中で口にした言葉が、もう1つの大きな目標となった。 「入院中も意識がハッキリとしない中で、ミニギターを触っていたみたいですし、意識が戻ってくる中で『昔みたいにベースを弾けたらいいんじゃないかな』、『またライブがやりたい』という思いはずっとありました。もちろん、当時はそんなことができる状態では到底なかったですし、難しいとは思う反面、どこかで『やればできるんじゃないか』というと思いもあって……」 上野の挑戦は、音楽を再びはじめるために必要な機材がどこにあるのか、その記憶すら曖昧な中でこうして幕を開ける。 いざベースを弾きはじめてからも、「手の感覚は大丈夫でしたけど、フレージングもちょっと難しかったですし、指がなかなかついていかなくて。指の感覚を慣らしていくのが大変でしたね。『もう無理だ』と思う瞬間は何度もありました。ライブが決まったと言われたときも、自分で言い出しておきながら『決まっちゃったか……』って感じでしたが、逆にそれで吹っ切れたんだと思います」と回顧する。