’70sヨシムラが放った世界初のバイク用『集合管』の衝撃【昭和エモ伝Vol.6】
ヨシムラが特許を取っていたら歴史は違っただろうね
後にレースでもサイレンサーの着用が必須になり、昔のような直管型から現在では見慣れたサイレンサー付属型になるんだけど、1980年代のバイクブーム期ではヨシムラ以外にも集合マフラーメーカーも乱立した。集合管のパイオニアのヨシムラも集合方式を変更したサイクロンを投入したり、エキパイ部の排気圧カの高い部分で他のエキパイを排気干渉させ、プリチャンバーを設けるデュプレクスサイクロンを登場させるなど、常に最先端の技術で集合スタイルを進化させてきた。もし、ヨシムラが最初に集合管の特許を取っていたら……バイクのスタイルもマフラー市場も今とはまったく違うものになっていたかもね。現在でも国内マフラーメーカーのトップをひた走るヨシムラが、バイク業界に残した功績は大きい。 ──10代の牧田少年を虜にしたヨシムラ集合管装備のZ2がこちら。形は現代のヨシムラストレート管が継承するスタイルながら、当時モノはまさに直管的シンプルさ。サイレンサーにはネームプレートもなく素材も加工も素朴ながら、なにやら物々しい独特の雰囲気がある(ヤングマシン本誌1974年11月号より)。 ──Z2用のヨシムラ集合管のテストは、まだ30°バンクが使用されていた’74年の富士スピードウェイで行われ、同時比較のノーマル車より+20km/hと-11kgを記録した(ヤングマシン本誌1974年11月号より)。 ※掲載内容は公開日時点のものであり、将来にわたってその真正性を保証するものでないこと、公開後の時間経過等に伴って内容に不備が生じる可能性があることをご了承ください。
●文:ヤングマシン編集部(牧田哲朗) ●写真:YM Archives