阪神秋山拓巳と“マイク”仲田幸司に重なる遅咲き覚醒の条件
当時、阪神のチーフスコアラーだった三宅博さん(現・岡山商大コーチ)が言う。 「マイクは、あの年、スライダーを覚えてカウント球にも勝負球にも使え始めた。勝ちゃん(故・中村勝広監督)の手引きで、広岡達朗さんにピッチングを見てもらいフォームを改造した。メジャー式の体のひねりを使わずに左肩を開かないというフォーム。それまでもストレートはピカイチで、“年イチピッチング”はあったが、とんでもないノーコンで投げてみないとわからないという安定感に欠くピッチャーだった。フォーム改造でスライダーとコントロールが安定するようになり、9年目に覚醒した。秋山も8年目。重なる部分があるね」 快速球を持ちながらも常に負けが上回り、前年はわずか1勝に終わっていた仲田氏は、スライダーの会得とフォーム改造で、1992年には14勝12敗と覚醒した。亀新ブームと共にエースとして阪神の躍進を支えて最後までヤクルトと優勝争いを演じた。 秋山も、昨年、新球シュートを覚えたことでピッチングの幅が広がり、シーズン終盤に4年ぶりの勝ち星を挙げるなど、復活の可能性を感じさせた。ファームでも9勝で最多勝。角度のあるボールを生かして打者を見下ろして投げていた。そして昨年の秋キャンプからは、さらにフォームが安定、元々、良かったコントロールの精度が格段にアップした。ストレートのスピードも増した。 「秋山は、これまで追い込んでからのボールがなかった。カウントを作ってからボールが中に入って打たれるというパターンだったが、シュートを覚えたことで追い込んでからも厳しく攻めることができるようになっている。マイクも、ストレートとスライダーの腕の振りが一緒で打者が戸惑ったが、きょうの秋山も打者がストレートのタイミングで待って変化球に翻弄されていた。そこも共通点かもしれない。気持ちの部分も大きいと思う。ここから白星が増えていけば、もっと自信を深めるだろう」と、三宅さん。 ちなみに仲田氏は、覚醒した翌年には“2年目のジンクス”に陥って3勝12敗に終わり、1994年には7勝6敗の成績を残したが、以降、ひとつも勝てなくなった。大石投手コーチが退団して細かくチェックをしてくれる人物が近くにいなくなり、他球団から研究されて生命線だったスライダーを狙い打ちされるようになり、進化が止まってしまったのである。 まだ秋山は、覚醒途中。そういう歴史を“反面教師”にするにはシーズンが終わってからでいいのかもしれないが、過去の先輩左腕と同様に覚醒条件は揃っているのである。