「あの審判代えなきゃ、俺はやらん!」日本シリーズ勝利の日、オリックス仰木彬監督が二塁審判に激怒した本当の理由
● ホットな王貞治監督と クールな星野仙一監督 1999年日本シリーズは「王貞治・ダイエー」と「星野仙一・中日」の対決でした。この1999年は、私が球審を務めた第2戦そのものよりも、星野仙一監督が監督会議でも穏やかだった印象のほうが思い出深く残っています。逆にこの1999年はダイエー・王貞治監督が初のリーグ優勝に続いて日本一をめざし、ギョロッとした怖い目をしていました。 星野監督はペナントレースでは毎試合熱いのですが、日本シリーズ進出はペナントレース優勝に伴う「ご褒美」的な意識が強いのでしょうか。1988年中日監督(対西武・森祇晶監督)、2003年阪神監督(対ダイエー・王監督)、2013年楽天監督(対巨人・原辰徳監督)時代も静かでした。日本一になったのも2013年だけです。 1999年第2戦、10勝の若田部健一投手と8勝の川上憲伸投手の投げ合い。2人とも好投手でした。立浪和義選手の先制2点タイムリーで、中日が優位に試合を進めました。 翌第3戦、秋山幸二選手がナゴヤドームの高いライトフェンスをスパイダーマンのように駆け上がって飛球をキャッチし、その後一塁走者も補殺するというファインプレーを披露したシリーズ。4勝1敗でダイエーが悲願の日本一。MVPは秋山選手、敢闘賞は川上投手でした。 ● 巨人の「ONミレニアム対決」を ジャッジできる僥倖 私が中学生のころ、テレビ中継はやはり巨人戦が中心でした。もちろん長嶋茂雄選手、王貞治選手の大ファンでした。 「巨人軍は永久に不滅です!」 1974年長嶋選手引退のあの名台詞、1975年長嶋監督就任のあと、私は巨人の本拠地・後楽園球場でセ・リーグ審判員試験を受けたのです。 だから2000年の日本シリーズ「長嶋・巨人」対「王・ダイエー」の「ONミレニアム対決」は、実に感慨深い思いでジャッジしました。少しでも野球をかじったことがある人間にとって、ONは雲の上の人。ユニフォームと球審用マスク。立場は違えど、ON対決の日本シリーズにおいて、憧れの人たちと同じグラウンドに立てた。 一塁と三塁のダグアウトからONの視線を感じながら試合を裁けたのは、自分をほめてやりたい気持ちでいっぱいでした。審判冥利に尽きました。