大ヒットクラフトビール「インドの青鬼」どうやって命名? 「水曜日のネコ」など個性あふれるセンスの源泉とは
「よなよなエール」や「水曜日のネコ」など、日本を代表するクラフトビール企業「ヤッホーブルーイング」(長野県軽井沢町)。1997年、日本では珍しかったクラフトビールの醸造所として誕生し、個性あふれる味わいとネーミングで、ファンを惹きつけて離さない。創業時から社員だった井手直行代表取締役社長に、大ヒット製品「インドの青鬼」の開発秘話と、ブランディング展開について聞いた。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆「ビールの種類を増やせば、うちの店で完結できる」
----インターネット通販が成功する中、新たな課題も見えてきたようですね。 1999年頃に地ビールブームが終わり、業績が低迷したため、2004年からネット通販に力を入れ始めました。 すると、2005年から会社全体の売り上げが3年続けて30%以上アップという、地ビールブーム以来の成長となりました。 ネット販売を始めたころは、主力製品の「よなよなエール」などビールは3種類だけでしたが、ネットで購入者の声が直接届くようになると、「『よなよなエール』は好きだけど、いろんなビールが飲みたいから、ほかの酒屋さんでも買っている」という人が多かったんです。 もし、味のバラエティがもっと揃っていたら、わざわざ他のお店で買わないんじゃないか。 そこで、製造部門と、当時社長だった星野佳路(※星野リゾート代表)と相談しながら、新たなビールを模索していきました。
◆IPAの製造提案に対し、周囲からは猛反対
----看板製品の一つ「インドの青鬼」は、どのような経緯で生まれたのでしょうか? 2007~2008年にかけて、ホップの苦味が強いIPAというスタイルのビールを限定販売しました。 今の「インドの青鬼」の前身です。 近年、IPAは世界的にも人気ですが、そのころは浸透しておらず、あまり売れなかったんです。 「もっと飲みやすいビールをつくなければ」という話になっていたのですが、星野の考えは逆でした。 「大手のような飲みやすいビールをつくるんだったら、我々の存在価値はない。日本のビール市場にバラエティを提供するのが我々の使命だ」と。 私も、今こそもっと個性的なビールをつくって大手と差別化すべきだと思いました。 そこで、過去のラインナップで最も個性的だったIPAを復活することを提案したところ、ほとんど全社員から反対されました。 しかし「これは俺が責任を持つ、個性的な味を好む人が日本中探せばいるはずだから」と、最終的には反対を押し切りました。 結果、「インドの青鬼」は大きなプロモーションもしていないのに非常に売れました。 増産しても、すぐ完売するという状況が半年以上続き、欠品が止まらず卸や小売店から怒られ続けてました。 2008年から2012年までは期間限定で販売しましたが、販売数量が毎年8割増と好調だったため2013年に定番製品化しました。 さらに、その後の7年間で販売数量は5・7倍になり、コンビニにも並ぶぐらいになっています。