ワールドカップの勝敗だけでは、あの国アルジェリアのサッカー熱は計測できない『不屈の魂』書評【ゲームの外側 第4回】
小社主催の「サッカー本大賞」では、4名の選考委員がその年に発売されたサッカー関連書(漫画をのぞく)を対象に受賞作品を選定。選考委員の一人でもあるフランス文化研究者、作家、文芸批評家の陣野俊史氏にサッカーにまつわるあれやこれやに思いを巡らせてもらう連載「ゲームの外側」第4回は、アルベルト・エジョゴ=ウォノ『不屈の魂 アフリカとサッカー』(江間慎一郎訳、東洋館出版社、2024年)からアフリカサッカーの魅力について。(文:陣野俊史)
●アルジェリアはサッカーが宗教のような国である まったく個人的なことだが、アフリカで行ったことのある国は、マダガスカルである。 マダガスカルに何の予断もなく上陸したのは、2017年、夏のこと。 彼のことを語るためには、まずアルジェリアとフランスの間で起こった独立戦争のことを語る必要がある。1962年、アルジェリアは8年に及ぶ独立戦争を終えて、フランスから独立する。 横に飛ぶ猿も、意外と動きの速いゾウガメも、そこらじゅうに生えているバオバブの木も、それなりに面白かったのだが、スポーツに話を限れば、何もないよ、と話してくれたのは、ずっと運転手をやってくれたラントさんだった。彼はこう言っていた。 そうだな、ペタンクの達人がいるから、ペタンクはアフリカでいちばんと言えるかもしれないな。それ以外は弱いよ。 じゃ、サッカーは? と私が訊くと、サッカーをやっている人口が少ないから、あまり盛んじゃない。 ラントさんはハンドルを握ったまま、淡々と答えた。あんまりサッカーは人気がないんだな、と、なんだか寂しい気がしたことを覚えている。 アルベルト・エジョゴ=ウォノ『不屈の魂 アフリカとサッカー』(江間慎一郎訳、東洋館出版社、2024年)に、そのマダガスカルのサッカーの話がちょっとだけ出てくる。 巻末に近いコラムだが、その小文のタイトルが「マダガスカル大冒険」。 赤道ギニアの代表チームが、2011年の終りに、2014年に開催されるブラジル・ワールドカップの出場をかけたアフリカ一次予選で、マダガスカルと対戦した経緯が述べてある。 そもそもFIFAがアフリカに割り当てている出場枠は5つ。一次予選を勝ち抜いて二次に進めるチームだけで40。 赤道ギニア(このときの代表監督は、なんとアンリ・ミシェル! 往年のフランス代表監督)はホームでマダガスカルを一蹴し、アウェーのマダガスカルの首都アンタナナリボに向かうことになる。この際のあれこれのなかに、マダガスカル代表のことが、ちらっと出てくる。 たとえば「マダガスカル国民は東アフリカ人、インド人、ユーラシア大陸最西部のアジア人の混血」であり、「人種の融合が解読不可能なプレーを生み出す。 体格は低身長で痩せているので、マンツーマンで素早い動きをされると危険だ」と記されている。事実と違う気もするのだが、まあいい。 それ以外にも興味深いことが縷々述べてあるのだが、赤道ギニア代表たちが乗るはずだった飛行機のパイロットの一人が、費用の半額を前払いするよう要求し、そのせいで飛行機の工面が遅れてしまい、約束の日までにアンタナナリボに入れない事態に。 そこにマダガスカル当局がつけ込んで、新規の着陸を受けつけるには時間が遅すぎると難癖をつけて、空港への着陸を拒否したり……。赤道ギニアを追い込んで失格させ、自分たちが二次予選に進む作戦だ、と(この本には書かれている)。 それよりなにより、この2011年という年は、マダガスカルにとって大変な時期で、社会は分断され、二つの政治勢力に翻弄されていた。 2009年以後、マダガスカルでは暴動が頻発し、一種の無政府状態に陥っていた。赤道ギニア代表がアンタナナリボを訪問したのは、そんなたいへんな時期だったのだ。 結局、マダガスカルのサッカー協会が仕掛けた諸々の術策も実らず、赤道ギニアにホームでも敗れてしまうのだが、じつは、このあと、マダガスカル代表は2019年になって、アフリカ・ネイションズ・カップで初めてベスト8まで躍進した。 何があったのか、奇跡としか言いようがないのだが。 ところで、右に挙げた『不屈の魂』という本だが、めっぽう面白い。アフリカのサッカーを題材にした本をあまり見かけなくなった現在、貴重な出版と考える。 2011年だったか、スティーヴ・ブルームフィールドが書いた『サッカーと独裁者』という本が白水社から出ていた(実川元子訳)。あれからもう十年以上の時間が経つのか、と年齢を重ねてきた者は慨嘆するしかないのだが、この『不屈の魂』にも、アフリカでしか経験できないあれやこれやが詰まっている。 それだけでまず、充分に面白い。権謀術数のあやしく張り巡らされたサッカー界。穴ぼこだらけのピッチ、ダメなインフラ。それでも、才能豊かな選手を多数輩出している大陸。呪術師たちの暗躍。 アフリカへの興味は尽きないのだが、あまりに絶賛ばかりしていても仕方ないので、少しだけ、違和感を覚えた箇所のことも書いておこう。 たとえば、アルジェリアのサッカーに捧げられた章のタイトルは「サッカーか宗教か?」。 アルジェリアはサッカーが宗教のような国である。 サッカー熱は、他の北アフリカの国を遥かに凌いでいる。競技人口は、チュニジアやモロッコの数倍らしい。 だからこのタイトルを読んだとき、きっとそうした国全体の熱狂を語っているものとばかり思い込んでいた。 まあ、こちらの完全な思い過ごしなのだが、ここで語られているのは、ワールドカップに出場したアルジェリア代表チームにイスラム教徒が複数いて(これは当然、そうである)、2014年のブラジル・ワールドカップ、ベスト16でドイツ代表と闘った際、ラマダンがどのようにチームに作用したか、である。そこに主眼がある。 西ドイツのアルジェリアの間には、80年代のワールドカップでの因縁がある。同書にはこう記されている。 ドイツに対しては、喉が焼けて乾くほど復讐心に燃えていた。というのも、1982年に両代表チームの間で起きた出来事は、いまだ鮮明に記憶されているからだ。 その年、アルジェリアはワールドカップに初出場した。アフリカサッカーの歴史的な試合となるは初戦の相手が西ドイツだった。 スペインで開催されたその大会で、西ドイツ代表”ディー・マンシャフト“は、シューマッハ、シュティーリケ、ブライトナー、ルンメニゲといった、世界に知られたスター選手を擁していた。 アルジェリア代表はヒホンのエル・モリノン・スタジアムのピッチを踏んだ。 絶対的英雄である偉大なラバー・マジェールを中心としたチームは、国の期待を胸に西ドイツを打ち破り、今日でもマグリブサッカーの歴史的大勝利のひとつとして記憶される大金星を挙げた。 しかし当時は、グループリーグ最終節は同日同時刻開催ではなく、アルジェリアの最終戦が行われた翌日に、西ドイツ対オーストリア戦が組まれていた。それがアルジェリアにとっては、気に入らなかった。 アルジェリアはチリに勝利することになるが、その後に行われる西ドイツ・オーストリア戦は試合前から結果がわかっている「出来レース」となる可能性があったからだ。 西ドイツが1対0で勝利すれば、西ドイツとオーストリアの両国が決勝トーナメントに進出することができる。案の定、その通りになった。 試合開始早々に西ドイツはルベッシュが得点すると、厚顔無恥にも以降は試合時間をつぶすだけのサッカーを見せ、スタジアムに詰めかけていた4万人以上のサッカーファンの怒りをかった。この試合は「ヒホンの恥」として知られることになる(前掲書、168―69頁)。 ならば、この章のタイトルは「宗教か復讐か?」とすべきだろう。 そして、結局、2014年、アルジェリア代表が圧倒的に強かったドイツ代表を延長戦にまで持ち込んで戦慄せしめたという意味でならば(あの試合、ブラジル・ワールドカップのベストの試合ではなかったか)、そのサッカースタイルの卓越こそ讃えられるべきで、宗教とはあまり関係のない話でもある。 もし、宗教か、それともサッカーか、ということを問うのであれば、きちんとラマダンの教えを守って、本来の調子でなかった選手を特定すべきかと思うのだが、いかがか? むろんこうした指摘そのものがないものねだりであり、そうである以上、もしどうしても知りたければお前(つまり読者)が調べてみれば、と言われるだろう。その通りである。 ただ、ワールドカップの勝敗だけでは、あの国アルジェリアのサッカー熱は計測できない。 なんか、もっとうまくアルジェリア・サッカーの狂熱を描くことはできないものか、とあれこれ想像をめぐらすことになってしまったことだけは、ひと言付け加えておいてもいいだろう。 書かれていないことこそが、読者を刺激する。 (文:陣野俊史) 陣野俊史(じんの・としふみ) 1961年生まれ、長崎県長崎市出身。フランス文化研究者、作家、文芸批評家。サッカーに関する著書に、『フットボール・エクスプロージョン!』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)、『サッカーと人種差別』(文春新書)、『ジダン研究』(カンゼン)、共訳書に『ジダン』(白水社)、『フーリガンの社会学』(文庫クセジュ)がある。その他のジャンルの著書に、『じゃがたら』『ヒップホップ・ジャパン』『渋さ知らズ』『フランス暴動』『ザ・ブルーハーツ』『テロルの伝説 桐山襲烈伝』『泥海』(以上、河出書房新社)、『戦争へ、文学へ』(集英社)、『魂の声をあげる 現代史としてのラップ・フランセ』(アプレミディ)など。
フットボールチャンネル編集部