石破ショック!日経平均1910円安は「予告された暴落」だった…いま「新総裁」に求められるもの
政治家も「IR活動」が必要になった時代
もちろん、そこには括弧付ではあるが、正義はあるし、筆者もその全てを否定するものではない。しかし、もう一歩踏み込んで表現の仕方を変えれば、そこに見える思想は、「資本」対「労働者・農民」という世界認識であり、資本や富める者は或る意味で「悪」であり、国家はその「悪」に対峙し、「労働者・農民」の側に立って、著しい格差を是正し、万人がそれぞれの人生を等しく豊かなものにするためにこそ権力を振るうべきだ、という思想だ。20世紀を生きた世代には、なぜか懐かしい、それぞれが程度の問題はあっても、自らの問題としてその思想に触れ、血肉として骨格として、それぞれの解釈と立場で受容したマルキシズム、まさにその系譜に立つ思想だ。 しかし既に我々は21世紀を生きていて、そうした「モノの見方」や図式化とは、だいぶ違う世界を生きている。市場が、岸田氏や石破氏が「金融所得課税の強化」に触れた際、激しくそうした政策に拒否反応を示したのは、「悪」である資本が、単純に抵抗しているという図式ではなく、もうそうした発想では我々は豊かさや豊かさをベースとした公平さには辿り着けない、と市場が伝えているのだ、そう理解すべきではないか、と筆者は思う。特に、資産運用立国を標榜し、「新しい資本主義」を掲げた岸田氏や、その岸田氏を継承する、という石破氏には、そこを理解してもらいたく思う。 それは何か、と言われれば、象徴的な言い方にはなるが、資本を「悪」として見ずに、いかに資本を飼い慣らし、その持つ巨大な資本増殖に向かうエネルギーを引き出して、豊かさを実現させ、一方で市民社会といかに共生させるか、を試行錯誤しながら考えていく、資本をそうした対象として位置付ける、そうした思想であり、姿勢だ。 そのために何をするか、は簡単で、まずは謙虚に市場の声に耳を傾けること、そして市場参加者との、投資家との対話を試みること、それに尽きる。なぜ、自分の登場で株価は下がったのか、「いや、それは知らない、それは例の<あの株>の話しだろ」ではなく、株価が何を語っているのか、を真摯に理解し、そこに自分の政策に対する誤解があるのであれば、誤解を解くための説得を試み、誤解ではなくそこにむしろ自分が謙虚に受け止めるべき何か、があるのであれば、自身の認識を改め、政策を修正する、そうした取り組みが必要なのだ。そして、それはまさに東証要請などを経て、やっと日本企業も正確にその意味を理解し始めた「IR活動」そのものだ。 そこで間違ってはいけないのは、市場に阿るのではない、という点だ。株価もまた世論であり、その世論に阿るのは、ポピュリズム以外何物でもない。必要なのは、対話を通じ、本当の均衡点を互いに探ることで、株価が未来を灯すシグナルとして、選挙結果と同様、天意を推し量るモノとして機能するようにさせる、まさにそのことだ。 言うまでもないが、9月27日の後場の動きを見る限り、投資家もまた浅い理解や断片的な情報で動いていて、本当にそこに示された価格が天意を示すというようなモノなのか、そこには疑問がある。しかし、であればこそ誠実に政策の意図を投資家に伝えない限り、また、市場にかかわる関係者が、極力、正確な事実や、その事実を解釈する様々な視角・視点を論評のようなカタチで投資家に伝えない限り、株価に天意は宿らない。(特に日本株について、相場に参加する殆どが海外機関投資家という状況では、情報を媒介する業者の役割は重い。) その意味では、政治もまた市場が価格付けし、政治家もIR活動(投資家との対話や情報媒介者の育成)を重視せねばならない、21世紀とはそうした世界なのだと思う。