【吉田秀彦連載#16】ドン・フライとの対戦から1か月後、佐竹雅昭さんの「引退試合」オファーが!
【波瀾万丈 吉田秀彦物語(16)】2002年11月24日に東京ドームで行われた「PRIDE23」で強敵のドン・フライと対戦しました。 【写真】「柔道対空手」が実現した! フライは力が強く、レスリング出身の選手だったから、なかなかテークダウンを取れないと思っていました。打撃で勝負するフリをして、テークダウンを取りにいくしかなかったですね。だから「ワンチャンスを逃したら、無理だな」と考えて、一発で決めにいけるかの勝負でした。 とはいえ、高山(善廣)さんとの試合があったから「1発、2発殴られても仕方ない」と覚悟して、後ろに下がらないようにいきました。「下がったら負けるな」。そう思って、フェイントをかけにいきながら、前に前に出ていく。いきなり組み合って大内刈りで倒してワンチャンスにかけました。 だけど、袖車もチョークスリーパーも決まらない。新たに開発していた柔道衣で相手の顔を覆う技「ヨシロック」も仕掛けましたが、これも決まらなかった。ヨシロックを返されたところで、フライに上になられ、ボディーブローを浴びてしまいました。強い。これまで戦った相手はみんな強かったけど、フライは格別でしたね。何とか下から腕ひしぎ十字(固め)を取って一本勝ちしましたが、正直言ってきつかった…。 さらに驚くことがありました。フライは自分の腕十字で負傷していました。試合後はすぐに病院に行かなければならなかったにもかかわらず、控室にあいさつに来てくれたんですよ。ありがたかったですね。フライは「戦えてよかった。ありがとう」と言ってくれました。本当に素晴らしい選手でしたよ。 総合格闘技の初戦から、わずか1か月余りの02年大みそか、また試合のオファーがありました。対戦相手は、K―1ファイターとして活躍してきた空手家の佐竹雅昭さん(※)。佐竹さんの「引退試合」ということで、この勝負についてはよく覚えています。 ずっとK―1を見ていたから、佐竹さんとの試合には思い入れもありました。「柔道対空手」というテーマでも、自分にはこんな記憶があったんです。 高校生の時、柔道の先輩が空手家とケンカをしました。真正面から正拳突きをポーンと鼻にくらって、鼻血がビシャーと噴き出ました。そうしたら先輩が相手の胸ぐらをがっとつかんで、そのまま一瞬で絞め落としたんです。まるで漫画の世界? まさにそうですよ。自分としては「柔道対空手」は、そんな殺伐としたもんなんだ、と思っていましたから。 ところが…佐竹さんとの試合は、思いがけない結末になってしまうのです。 ※K―1創設時からヘビー級のエースとして活躍。1994年K―1・GPで準優勝。
吉田秀彦