池上季実子、厳しかった父に黙って女優デビュー。大ブレイクした『愛と誠』決定後には初めての反抗「私はこれをやるの!やりたいの!」
真っ黒だった東京湾に投げ落とされて
1979年、映画『太陽を盗んだ男』(長谷川和彦監督)に出演。この作品は、自ら製造した原子力爆弾で政府を脅迫する男・城戸誠(沢田研二)の孤独な闘いを描いたもの。池上さんはラジオの人気DJで、誠とともに逃げる途中、刑事が撃った銃弾で命を落とす沢井零子役を演じた。 「あの作品は、3日間徹夜で撮影ということもあったりして大変でした。私は銃弾が当たって死んで、その遺体をジュリー(沢田研二)が抱っこして、高さ8メートルくらいの堤防から東京湾に投げるんだけど、当時は海水がヘドロで真っ黒だったんです。 ダイバーも救助船も用意してなかったし、お風呂もない。うちのマネジャーがブチギレて、『冗談じゃない。投げ方によっては(ブロックに)当たっちゃうかもしれない。死んだらどうするの?こんなことはやらせない!』って。 彼女が頑張ってくれたおかげで救助船を用意することになって、お風呂も借りられることになりましたけど、頭から足の先までヘドロだらけで大変でした(笑)」 同年、大河ドラマ『草燃える』(NHK)に出演。その後、『おんな太閤記』、『徳川家康』、『武田信玄』と大河ドラマの出演も続いていく。 1984年、映画『陽暉楼』(五社英雄監督)に出演。この作品は、大正時代、西日本一を誇る土佐の高知随一の遊興の場・陽暉楼を舞台に、そこで芸妓同士が火花を激しく散らし合い、繰り広げられるさまざまな人間模様を描いたもの。池上さんは「100年に一人出るか出ないかの芸妓」と言われる陽暉楼のNo.1芸妓・桃若(=太田房子)とその母親の娘義太夫・豊竹呂鶴の二役を演じ、第7回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞した。 「『女優として一皮むけた』と言われるようになって、『陽暉楼』はやっぱり転機でしたね」 ――浅野温子さん演じる珠子とダンスホールのトイレでびしょ濡れになりながら取っ組み合いのケンカをするシーンも話題になりました。 「そうですね。浅野さんに髪を引っ張られる場面では本気で引っ張られて本当に痛かった。髪の毛って痛いんですよ。でも、私も彼女の頬を思いっきり張り手する場面では、本当に叩いて、手の跡がついてしまいましたけどね(笑)」 ――艶やかな色香と美貌も際立っていて「恋多き女」と称されていましたね。 「あの頃はマスコミもひどかった。私は、1カ月に13人と熱愛って書かれましたからね。その中には私の弟もいて、『弟だ』と言ったのに目のところを犯罪者みたいに黒く隠して『新恋人』って書かれてしまって。 今みたいに、インスタとかブログで自分の思いを伝えられないから、結局書かれ放題。『肉体の構造』なんて勝手に書かれてすごく傷ついた。私は『訴える!』って言ったんですよ。 そうしたらマネジャーが『訴えたりしたら、他社がそれを聞きに来るからやめなさい。余計また色々書かれることになるから』って。『何でここまで言われて私は我慢しなきゃいけないの?』って頭に来ました。 あれで私はストライキしたんです。『勝手に私の人生書くなよ!もう仕事しない』ってブチギレちゃって半年間ストライキ。それで、『だったら自分で人生変えてやる!絶対にマスコミにバレないように結婚してやる!』と思って結婚しちゃったんですから。あれがなかったら結婚してなかったかもしれないですね(笑)」 1985年、池上さんは10歳年上の古物商を営む男性と結婚。一女をもうけるが3年後に離婚。シングルマザーとして子育てをしながら『男女7人夏物語』、映画『華の乱』など多くの作品に出演することに。 次回は、撮影エピソード、今も後遺症に悩まされている海外での番組収録中に起きた大事故についても紹介。(津島令子) メイク:大野志穂 スタイリスト:森本美砂子